世田谷区立郷土資料館

世田谷区立郷土資料館

東京都世田谷区世田谷1丁目、世田谷代官屋敷の敷地内に建つのが、世田谷区立郷土資料館。世田谷区政30周年事業で昭和39年に開館した、都内最古の区立博物館。一帯は江戸時代、彦根藩の領地で、世田谷領20ヶ村の代官屋敷だった大場家の建物(国の重要文化財・世田谷代官屋敷)も現存しています。

世田谷区の歴史を遺物、史料とともに詳しく紹介

本館を設計したのは、神奈川県立図書館・音楽堂、岡山県庁舎、弘前市役所、世田谷区民会館・世田谷区役所、国立国会図書館本館など多くの公共建築を手掛けた前川國男(まえかわくにお)。
収蔵資料の増加により手狭となったため、昭和62年に新館が増築されています。

江戸時代に彦根藩世田谷領20ヶ村の代官を世襲した大場家所蔵の古文書は一括して都重宝(現在都指定有形文化財)に選定されていますが、彦根藩藩主で大老・井伊直弼(いいなおすけ)が桜田門外の変で暗殺されたという急報に接した緊迫感や領内の慌ただしい動きを伝える大場美佐(当時の代官・大場与一の妻)の日記などが寄託・展示されています。

常設展は、原始・古代「世田谷のあけぼの」、中世「武士の登場」、近世「幕藩体制下の世田谷」、近代「幕末の動乱と明治維新」、現代「近郊農村から郊外へ」に分けられ、とくに旧石器時代からの古代の展示が充実しています。

世田谷区は、都内でも有数の遺跡密集地で、年代順に旧石器時代=廻沢北遺跡、下山遺跡、嘉留多遺跡の石器製作跡、縄文時代=稲荷丸北遺跡、瀬田遺跡の貝塚、弥生時代=堂ヶ谷戸遺跡の環濠集落、古墳時代=野毛大塚古墳、御岳山古墳、喜多見稲荷塚古墳、奈良・平安時代=下山遺跡の横穴墓・火葬墓、室町時代=世田谷城址、奥沢城址、江戸時代=喜多見氏陣屋跡、世田谷代官屋敷など数多くの遺跡、史跡があります。

中世には、武蔵国木田見郷(現・世田谷区喜多見一帯)を支配した江戸氏、世田谷城を構築した三河国幡豆郡吉良庄発祥の世田谷吉良氏、天正6年(1578年)、小田原を拠点に関東を勢力下に置いた北条氏政が、世田谷に新たな宿場を設けた世田谷新宿という歴史が秘められています。

近世には、徳川家康が江戸に幕府を開いたことで、世田谷の大部分は天領となり、20ヶ村のみは彦根藩領となって大場家が代官を世襲しています。

明治維新後は、品川県、彦根県(旧井伊領、後に一時長浜県とも呼ばれる)が生まれ、東京市の誕生した明治22年には、町村制の施行で、東京府の4ヶ村(世田谷・駒 沢・松沢・玉川)と神奈川県の2ヶ村(千歳・砧) に分かれています。

関東大震災後には、千歳烏山に都心で被災した寺院 22ヶ寺が移転し、新たな寺町を築いています。

世田谷区が誕生したのは、昭和7年10月1日、東京市の区域拡張で。
世田谷も東京市に所属し、世田谷町、駒沢町、玉川村、松沢村の2町2村で世田谷区が誕生。
昭和11年10 月には北多摩郡の千歳・砧村の2ヶ村が世田谷区に編入され、現在の世田谷区になっています。

世田谷区立郷土資料館
名称 世田谷区立郷土資料館/せたがやくりつきょうどしりょうかん
所在地 東京都世田谷区世田谷1-29-18
関連HP 世田谷区公式ホームページ
電車・バスで 東急電鉄上町駅から徒歩5分
駐車場 なし/周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 世田谷区立郷土資料館 TEL:03-3429-4237/FAX:03-3429-4925
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
世田谷代官屋敷

世田谷代官屋敷

東京都世田谷区世田谷1丁目、江戸時代中期以来、彦根藩世田谷領20ヶ村(2306石)の代官を世襲した大場家の役宅が、世田谷代官屋敷。大名領の代官屋敷としては現存する都内唯一の遺構で、東京都の史跡。主屋と表門の2棟は、国の重要文化財に指定されて

野毛大塚古墳

野毛大塚古墳

東京都世田谷区野毛1丁目、玉川野毛町公園内ににあるのが野毛大塚古墳。上野毛から尾山台にかけて広がる野毛古墳群(荏原台古墳群)を代表する古墳で、円丘に小さな方形の張り出しをつけた帆立貝を思わせるかたちの帆立貝形古墳です。墳長82mで、直径66

世田谷城址公園(世田谷城)

世田谷城址公園(世田谷城)

東京都世田谷区豪徳寺2丁目にある世田谷区で唯一の歴史公園が、世田谷城址公園。中世、世田谷吉良氏の居城・世田谷城の城跡で、吉良御所、世田谷御所と呼ばれていました。小田原の後北条氏と親戚関係を結んだ吉良氏の城跡には、土塁や丘、壕が残され、中世の

世田谷区立郷土資料館

関連記事

(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});

よく読まれている記事