立石様

立石様

東京都葛飾区立石8丁目、立石児童遊園にある鳥居の立つ霊域が、立石様。立石の地名の由来となった霊石で、古墳時代、舟運で房総の鋸山(現・千葉県富津市)の海岸から古江戸湾奥へと運び込まれた古墳(横穴式石室)の石材(房州石)の一部と推測されています。

失われた南蔵院裏古墳の石室に使われた房州石?

立石様

立石児童遊園内にあるに祠の中心に鎮座するのが立石様で、古代メンヒル説(古代の巨石遺構)、官道に設置された標べ石などとする説もありましたが、すぐ近くを荒川と江戸川が流れることから、南蔵院裏古墳など周辺の横穴式石室に使われた石で、奈良時代以降になって墨田から小岩に抜ける古代東海道の標石として転用されたと推測されています。

明治・大正・昭和初期に活躍した人類学者・鳥居龍蔵(とりいりゅうぞう)が唱えた古代メンヒル説に関していえば、温暖な縄文時代は縄文海進により、立石周辺は海に没していたので(陸地化したのは海が後退した弥生時代以降)、明確に否定されています。

立石地区にも今では失われていますが南蔵院裏古墳、熊野神社古墳があり、近くの柴又八幡神社の横穴式石室の石も立石様と同じ海上交通で運ばれた房州石です。

立石様というものの、現在では、南北65cm、東西27cmの大きさで、高さはわずかに2cm〜3cmしか顔を出していませんが、江戸時代の『新編武蔵風土記稿』には高さ1尺(30cm)で、『江戸名所図会』にも立派な石が描かれています。

地元の人々の崇敬と畏怖を集め、文化2年(1805年)、立石村の名主・島田新右衛門らが石祠を建立し、立石稲荷神社として祀っています。
石は風化ではなく、日清・日露戦争時に削ってお守りにしたなどと伝えられています。

立石様
『江戸名所図会』に描かれた立石村の南蔵院と熊野祠(熊野神社)
立石様
『江戸名所図会』には削り取られる以前の立派な立石が描かれています
立石様
名称 立石様/たていしさま
所在地 東京都葛飾区立石8-37-17
関連HP 葛飾区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 京成青砥駅、京成立石駅から徒歩10分
問い合わせ 葛飾区観光協会 TEL:03-3650-9876/FAX:03-5693-1658
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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