善福寺・福沢諭吉の墓

善福寺・福沢諭吉の墓

東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。安政5年(1859年)、日米修好通商条約に基づき寺の一室が初代アメリカ合衆国公使館となり、福沢諭吉(福澤諭吉)も出入りしたことから、境内には善福寺で葬儀を行なった福沢諭吉の墓もあります。

戒名は「大観院独立自尊居士」

慶應義塾を創立した福沢諭吉(福澤諭吉)は、天保5年12月12日(1835年1月10日)、摂津国大坂堂島新地(現・大阪府大阪市福島区福島1丁目)の豊前国中津藩の蔵屋敷で生誕。
大坂にあった緒方洪庵の「適塾」で学び、安政4年(1857年)、22歳で適塾の教頭に。

安政5年(1858年)、中津藩から江戸出府を命じられ、江戸・中津藩邸の蘭学塾講師に。
この蘭学塾「一小家塾」が慶應義塾の基礎となったため、慶應義塾創立の年ともいわれています。
鎖国時代の蘭学とはオランダ語を中心とした学問で、当時は大英帝国全盛の時代、横浜開港後も英語が中心だったので、蘭学者は大いにあせったのです。

安政6年(1859年)、日米修好通商条約批准交換のための幕府使節団(米軍艦「ポーハタン号」、その護衛船として「咸臨丸」)に随行して訪米を果たし、さらに文久元年(1861年)には英艦「オーディン号」で文久遣欧使節の一員として渡欧。
この時立ち寄った香港での光景(イギリス人が中国人を奴隷のように扱う姿)に衝撃を受けています(ヨーロッパで見聞きしたことは、『西洋事情』にまとめられています)。
慶応3年(1867年)に幕府使節団として再度訪米し、大量の辞書などを購入。
慶応4年(1868年)には蘭学塾を慶應義塾と名づけ、教育活動に専念するようになっています。

明治34年2月3日、大学の敷地内の自邸で脳出血が原因で没(慶應義塾大学三田キャンパスに福沢諭吉の終焉の地の碑が立っています)。
戒名は「大観院独立自尊居士」で、2月8日に善福寺で葬儀が行なわれ、当初は本願寺(明治43年、品川区上大崎に移転、現在の常光寺、慶応義塾が「福沢諭吉永眠の碑」を建立)に土葬で埋葬されましたが、昭和52年に善福寺に墓を移設。
命日の2月3日は雪池忌(ゆきちき)が行なわれ、慶應義塾関係者などが参詣しています。

善福寺・福沢諭吉の墓
名称 善福寺・福沢諭吉の墓/ぜんぷくじ・ふくざわゆきちのはか
所在地 東京都港区元麻布1-6-21
関連HP 麻布山 善福寺公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ南北線・都営地下鉄大江戸線麻布十番駅から徒歩10分
ドライブで 首都高速芝公園IC、飯倉IC、天現寺ICから約1.5km〜2km
駐車場 あり/有料
問い合わせ 善福寺 TEL:03-3451-7402
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
善福寺

善福寺

東京都港区元麻布1丁目にある浄土真宗本願寺派の寺、麻布山善福寺。背後は高台となった元麻布の高級住宅街、大使館街。寺伝によれば天長元年(824年)に空海(弘法大師)創建といい、都内では、浅草寺、深大寺に次ぐ古刹。越後国国府(現、新潟県上越市)

善福寺・福沢諭吉の墓

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