東京都国立市(くにたちし)、JR中央本線国立駅の駅前南側ロータリーに整備されたのが、国立駅南口駅前広場。国立駅南口は、駅前広場のロータリー(円形公園)を中心に南に大学通り、西に富士山の見える富士見通り、東に朝日の見える旭通りが伸びています。富士山を眺めることから、関東の富士見百景に選定されています。
箱根土地が開発した「国立学園都市」(国立大学町)
富士見通りは、大正時代末期の都市計画の際、当初は大学通りに対して45度に延びる計画でしたが、広場を視点場として富士山に向かう「山当て道路」となったことで、富士山への視野が確保されたのです。
大正15年4月1日の国立駅開業当初は、駅前ロータリーに水禽舎(すいきんしゃ)があり、ペリカンが飼われていました。
南口駅前広場は、駅舎とともに当時の箱根土地株式会社、現在のプリンスホテルが整備したもの。
南口駅前広場(ロータリー)、大学通りの緑地帯は今も登記上はプリンスホテルが所有しています。
これは、大正12年、関東大震災で京橋区尾張町にあった校舎が倒壊した東京商科大学(現・一橋大学)と当時大規模な郊外開発を手がけていた箱根土地(後のコクド、現・プリンスホテル)が契約し、東京商科大学を中心に据えた学園都市を開発したため(東京商科大学は、箱根土地との契約で国立と小平に移転)。
西武グループの創業者、堤康次郎(つつみやすじろう)の箱根土地は、沓掛村(現・中軽井沢/大正6年〜)、箱根・強羅(大正8年)をきっかけに、都市開発も手掛け、目白文化村(大正11年)、小平学園都市(大正14年)、大泉学園都市(大正14年)などを築いています。
堤康次郎は、「赤い三角屋根に白い壁」という洋館風の国立駅の駅舎をシンボルに据え、駅・駅前広場・大学通りを一体的に捉えた開発を行なっています。
開発当初には、円形公園部分に盛土して「展望台」を造成する計画があったといい、富士山を眺めるという視点も大切にされていたことがわかります。
こうした堤康次郎の先見性もあって、国立駅南口駅前広場からは、毎年12月3日 ~4日と1月9日前後、快晴の日なら富士山に太陽が沈むダイヤモンド富士を眺めることができます。
旧国立駅舎は、新駅舎が誕生後も、ほぼ同じ場所に創建当時の姿で再築・復原され、「旧国立駅舎まち案内所」として活用されています。
国立駅南口駅前広場 | |
名称 | 国立駅南口駅前広場/くにたちえきみなみぐちえきまえひろば |
所在地 | 東京都国立市東1丁目 |
電車・バスで | JR国立駅からすぐ |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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