東京都大田区池上にある日蓮宗の大本山で、日蓮入寂のちに建つ池上本門寺(いけがみほんもんじ)。その境内にあるのが大相撲力士からプロレスラーに転向し、テレビ放送開始とともに大ブームを生んだ力道山の墓。その縁で、池上本門寺の節分の豆撒きにはプロレスラーが参加しています。
昭和の大ヒーロー、力道山が眠る
力道山は、日本統治時代の朝鮮・咸鏡南道洪原郡新豊里で出生。
旧姓は金信洛(きんしんらく、김신락)で、二所ノ関部屋に入門し、昭和15年に初土俵を踏み、その後、優勝争いに絡むまでの活躍しますが、昭和25年に廃業。
百田氏の長男となって百田光浩(ももたみつひろ)を名乗って、新田建設に勤務しますが、その際、ナイトクラブで知り合ったハワイ出身の日系人レスラーのハロルド坂田(トシ東郷)と知り合い意気投合、ハワイでプロレスの猛特訓を受け、帰国後、日本プロレスを設立。
昭和29年、シャープ兄弟(兄のベン・シャープ、弟のマイク・シャープの兄弟で1951年、世界タッグ選手権王座獲得)を招聘し、全国を14連戦した初興行は、昭和28年のテレビ放送の開始、街頭テレビの登場を背景に大ブームを巻き起こしました。
日本テレビとNHKが同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには2万人の群衆が殺到しています。
子どもたちのヒーローでしたが、昭和38年12月8日、赤坂のナイトクラブ「ニューラテンクォーター」での喧嘩がもとで、腹部を刺され、12月15日、化膿性腹膜炎で死去。
墓所は、自宅近くの池上本門寺と、百田家の故郷である長崎県大村市の長安寺で、戒名は、大光院力道日源居士。
池上本門寺にある「力道山之碑」は、一周忌に建立されたもので、碑文は児玉誉士夫。
腕を組んだ胸像(銅像)も置かれ、力道山ファン、プロレスファンの聖地にもなっています。
ちなみに力道山の息子・百田光雄(ももたみつお=全日本プロレスの旗揚げに参加)、そして孫の百田力(ももたちから/リングネームは「力」)もプロレスラーというプロレス一家です。
力道山の墓 | |
名称 | 力道山の墓/りくどうざんのはか |
所在地 | 東京都大田区池上1-1-1 |
関連HP | 池上本門寺公式ホームページ |
電車・バスで | 東急池上線池上駅から徒歩15分 |
ドライブで | 首都高速戸越ランプから約5.4km |
駐車場 | 池上本門寺駐車場(50台/無料) |
問い合わせ | 池上本門寺 TEL:03-3752-2331 |
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