靖国通り(震災復興道路)
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第二号」が、靖国通り(第一号は昭和通り)。震災から復興を期に幅員36mに拡幅され、九段坂の急勾配も緩やかに改修されています。当初は大正…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第二号」が、靖国通り(第一号は昭和通り)。震災から復興を期に幅員36mに拡幅され、九段坂の急勾配も緩やかに改修されています。当初は大正…
関東大震災(大正12年9月1日)からの帝都復興を目指した震災復興道路の軸のひとつ「幹線第一号」が、昭和通り。大関横丁交差点(台東区)~新橋交差点(港区)の8kmで、幅員44mの道路で、昭和3年に完成。昭和という新しい年号…
東京都中央区明石町、居留地中央通りと聖ルカ通りの交差点、聖路加国際病院南西側に立つのが、慶應義塾発祥の地記念碑。幕末に、この地(築地鉄砲洲)に福沢諭吉出身の中津藩中屋敷があり、中屋敷内の蘭学塾の教師に就任したことが、慶應…
東京都中央区日本橋小伝馬町、十思公園の南側に建つのが、小伝馬町身延別院。明治16年、伝馬町牢屋敷跡に獄死者・刑死者の菩提を弔うべく創建された日蓮宗の寺で、身延山久遠寺の別院。幕末に吉田松陰や橋本左内も獄死した伝馬町牢屋敷…
東京都中央区日本橋小伝馬町にある高野山真言宗が、大安楽寺(だいあんらくじ)。江戸時代には伝馬町牢屋敷の処刑場があったことから、明治8年に市ヶ谷に牢屋敷が移転した後にも忌み嫌われて空き地でした(死者の延べ人数は10万人超と…
東京都中央区日本橋小伝馬町、十思公園(じっしこうえん)、十思スクエア(旧十思小学校)一帯が、伝馬町牢屋敷跡(てんまちょうろうやしきあと)。伝馬町牢屋敷跡遺跡として東京都の文化財(旧跡)に指定され、十思スクエアには石垣の一…
東京都中央区、隅田川の河口部に架かるのが、築地大橋。浅草から竹芝桟橋、お台場海浜公園などを結ぶ東京都観光汽船の水上バスが最後にくぐるのが築地大橋で、北詰にはかつて築地市場(つきじしじょう)がありました。環状2号線の橋で、…
東京都中央区、隅田川と日本橋川の合流地点、日本橋川河口に架るのが、豊海橋(とよみばし)。橋長46.13m、幅員8.00mで、昭和2年に竣工、関東大震災の復興事業で架橋された国内初の鋼フィーレンデール橋(梯子を横倒しにした…
東京都では、舟運が身近な観光・交通手段として定着し、水辺のにぎわいを創出するよう2016年度からさまざま取り組みを進めていますが、その目玉的な「らくらく舟旅通勤」の第1弾として、日本橋~豊洲航路が、2023年10月から運…
2023年9月23日(土・祝)から1年間限定という期限付きで運行が始まったのが、東京ひとめぐりバス(TOKYO LOOP)。土・日・祝日中心にダイバーシティ東京プラザ〜晴海3丁目〜東京京橋〜コレド室町〜コレド日本橋〜ア―…
東京都中央区佃1丁目、佃島にあり、大坂・佃(現・大阪市西淀川区佃)の漁師たちが江戸に下って築いた佃島の歴史を今に伝えるのが、住吉神社。佃と大和田の漁師たちは、田蓑神社(たみのじんじゃ/当時は住吉社)の分霊を勧請して住吉神…
東京都中央区日本橋人形町2丁目、明暦の大火で吉原が現在の地に移る以前の元和3年(1617年)〜明暦3年(1657年)、元吉原(葭原八力町)の総鎮守社だったのが、末廣神社。稲荷神ですが、勝運災難除の神として今も尊崇されてい…