末廣神社

末廣神社

東京都中央区日本橋人形町2丁目、明暦の大火で吉原が現在の地に移る以前の元和3年(1617年)〜明暦3年(1657年)、元吉原(葭原八力町)の総鎮守社だったのが、末廣神社。稲荷神ですが、勝運災難除の神として今も尊崇されています。往時の浪花町から現在地に遷ったのは関東大震災後の昭和2年。

元吉原遊郭の総鎮守社だったという歴史ある社

慶長元年(1596年)の記録が残されるので、江戸で初めての遊郭「葭原(吉原)」が誕生する以前から、この地に鎮座し、元和3年(1617年)、幕府の許可を受け庄司甚右衛門(しょうじじんえもん)が吉原遊郭を開いた際にはすでに社があったことがわかります。

大坂の陣で豊臣氏が滅びた後、平穏な江戸では、それまで遊女屋が転々と転居を繰り返していたのを、1ヶ所に集めて管理するという方針で、現在の人形町、当時は文字通り葭(よし)の茂った地に吉原遊郭が誕生したのです。
その結果、当初からその地に鎮座した稲荷社が、そのまま鎮守となり、娼家主や遊女たちも尊崇したのだと推測できます。

延宝3年(1675年)、社殿修復の際に中啓(末廣扇)が発見され、社号を末廣神社としています。

遊郭が日本堤へ移転した後は、難波町、住吉町、高砂町、新和泉町の氏神に。
現存する社殿は、東京大空襲で社殿焼失による戦後の再建で、総檜造り。

日本橋七福神(水天宮・宝生弁財天=弁財天、小網神社=福禄寿、松島神社=大国神、椙森神社=恵比寿神、笠間稲荷神社=寿老神、末廣神社=毘沙門天、茶ノ木神社=布袋尊)の毘沙門天を祀り、財福・勝運の神となっています。

境内にある「は組の石碑」は、享保5年(1720年)、徳川吉宗が設けた隅田川の西側を受け持つ消防自警団(町火消)「いろは四十八組」の「は組」のこと。
「は組」は、現在の伝馬町、人形町界隈を担当し、592人を擁していました。
一勇斎国芳『は組の出初』に梯子乗り描かれるように、江戸屈指の気負い(気勢)を誇っていました。
講談に「は組」の頭、源右衛門の美人の娘・お初の仇討ち話『は組小町』があることからも、有名な町火消だったことがわかります。

末廣神社
名称 末廣神社/すいひろじんじゃ
所在地 東京都中央区日本橋人形町2-25-20
関連HP 末廣神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄人形町駅から徒歩3分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 末廣神社 TEL:03-3667-4250
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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