佃島・住吉神社

佃島・住吉神社

東京都中央区佃1丁目、佃島にあり、大坂・佃(現・大阪市西淀川区佃)の漁師たちが江戸に下って築いた佃島の歴史を今に伝えるのが、住吉神社。佃と大和田の漁師たちは、田蓑神社(たみのじんじゃ/当時は住吉社)の分霊を勧請して住吉神社を創建、佃島の鎮守としたのです。

佃島誕生の歴史を今に伝える神社

佃島・住吉神社

天正14年(1586年)、徳川家康が大坂・住吉社から摂津・多田神社に参拝の折、神崎川の渡船を大坂・佃の漁民が務めた縁で、慶長17年(1612年)、幕府から献魚の役目を命じられて、隅田川下流の干潟を賜り、故郷の名をとり佃島と定め、田蓑神社の分霊を勧請して創建したもの。

大坂・佃村の庄屋・森孫右衛門、佃・大和田の漁民34名が江戸に移住、さらに税も免除され、日本近海のどこでも自由に漁ができるという特権も得ていました。
江戸に定住した後、隅田川河口の干拓の許可を得て、島の造成事業を行ない、正保元年(1644年)、ついに島が完成、故郷の名を取って佃島と名付けています。
住吉神社は、佃島造成後の正保3年(1646年)の創建。

住吉三神のほかに、創建以来、徳川家康(当時は東照大権現、現在は東照御親命)、息長足姫命(おきながたらしひめのみこと)も祀られています。

大坂・佃村の庄屋・森孫右衛門の墓は、故郷の正行寺(大阪市西淀川区佃1丁目)に眠っています。

江戸の佃島界隈は江戸湾奥で、社前が諸国の廻船が数多く集まる湊だったため、廻船問屋や各問屋組合からも信仰され、繁栄しました。
その後、その後、月島、勝鬨(かちどき)、豊海、晴海と埋め立て地が増えますが、新たにできた埋立地の氏神にもなっています。

水盤舎の水盤は、天保12年(1841年)、京に本店を置き、呉服・小間物なども扱った木綿問屋「白子組」(伊勢が本店だった大伝馬町組と江戸で勢力を分かつ大きな問屋)の奉納。
境内の鰹塚は、昭和28年、東京鰹節類卸商業協同組合の建立。
レンガ積み(イギリス積み)の旧神輿庫(きゅうみこしぐら)は、明治44年の築。

下町八社巡りの一社にもなっています。

ちなみに、佃島の猟師が、江戸前で捕った小魚や貝類のうち、売り物にならないものを保存用に塩煮したのが佃煮のルーツで、江戸時代後期に塩煮から当時高級品だった醤油を使うなど改良され、現在の佃煮が生まれました(ただし、もともと佃島でも醤油煮があったという説もあり、定かでありません)。

佃島・住吉神社
名称 佃島・住吉神社/つくだじま・すみよしじゃんじゃ
所在地 東京都中央区佃1-1-14
関連HP 住吉神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ・都営地下鉄月島駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 住吉神社 TEL:03-3531-3500/FAX:03-3531-2560
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
佃島・住吉神社

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