滝野川公園、平塚神社、滝野川体育館、地震の科学館などのある北区西ヶ原2丁目にある先土器時代から近世までの長い期間に渡る遺跡。注目されているのは、奈良・平安時代に造られた建物の跡。実は、この建物は、武蔵国豊島郡の郡衙(ぐんが=地方役所)と推定されているのです。滝野川公園内に文化財説明板が配されています。
「古代の東京都庁」がここにあった!
古代律令国家は、地方を統治するために国衙(こくが)とともに、郡ごとに役所を設置ていました。この役所は 郡衙(ぐんが)もしくは郡家(ぐうけ)と称していました。近年、注目度が上がり、全国各地で発掘調査が進み、博物館でも企画展などが増えてきています。都内では北区にあった豊島郡衙(御殿前遺跡)がもっとも重要な郡衙の遺跡です。
郡衙跡が発見されている御殿前遺跡は、滝野川公園、平塚神社付近から国立印刷局東京工場付近にかけて広がる広大な遺跡。旧石器時代の遺物が集中して見つかった場所、縄文時代中期後半の集落跡、弥生時代後期の集落跡などが多層になって発見されています。
古代の武蔵国(むさしのくに=東京都、埼玉県と神奈川県の一部)には21の郡が置かれ、現在の東京都は豊島郡・荏原郡・多麻郡にあたります。この豊島郡(千代田・文京・台東・荒川・豊島・北・板橋・練馬・新宿区の区域)の郡衙の中心部分がこの一帯です。
現代風に言い換えれば「古代の東京都庁」といった感じでしょうか。
少し詳しく説明すれば、豊島郡衙跡は、郡庁(官庁)が並んでいた御殿前遺跡、倉が並んだ倉院エリアの七社神社前遺跡、地下鉄7号線西ヶ原駅地区遺跡に分かれています。
御殿前遺跡と七社神社前遺跡の発掘調査の成果から、律令時代の米を収めた倉などの様子、鍛冶工房などもわかっています。
連房式鍛冶工房跡は、東日本ではもっとも古い時代のものです。
郡庁と館の中間に位置した穴からは、杯(つき)2点、高杯(たかつき)2点、壺1点の計5点の土師器(はじき)が発掘されています。
杯1点と高杯2点は、奈良の都がある大和地方で製作された畿内産土師器であることから、都との密接な関係をうかがい知ることができます。
この土師器は、「御殿前遺跡祭祀遺構出土土器」として北区飛鳥山博物館の常設展示「律令社会と豊島郡衙」コーナーに展示されています。
西ヶ原村の舟山に将軍が鷹狩の際に使う殿舎「舟山茶亭」が建てられていました。現在の田端から上中里・西ヶ原を中心とした高台が、森となっていて、将軍家の鷹場「御殿山」と定められていたのです。「生類憐み令」で知られる5代将軍・徳川綱吉が廃止した鷹狩りを、8代将軍・徳川吉宗が復活させたのです。
江戸時代、岩淵筋(日光御成道)のほか、葛西筋、戸田筋、中野筋、目黒筋、品川筋と全部で6筋の鷹場りを吉宗が定めました。
つまり御殿前という地名は、将軍が鷹狩の際に使った御殿の前という意味です。
「古代の都庁」のあった場所も、江戸時代には単なる森に変わっていたのです。
江戸切絵図に見る御殿山と豊島郡衙跡
御殿前遺跡(豊島郡衙跡) | |
名称 | 御殿前遺跡(豊島郡衙跡)/ごてんまえいせき(としまぐんがあと) |
所在地 | 東京都北区西ヶ原2-3-18 |
関連HP | 北区飛鳥山博物館公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ南北線西ヶ原駅から徒歩2分 |
問い合わせ | 北区飛鳥山博物館 TEL:03-3916-1133/FAX:03-3916-5900 |
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