東京都足立区東伊興3丁目にある円墳が、白旗塚古墳(しらはたづかこふん)。周囲は住宅地ですが、円墳と周囲の水堀一帯は白旗塚史跡公園として整備されています。6世紀後半の築造と推測されていますが、学術調査も行なわれていないため、詳細は不明です。
足立区に唯一現存する古墳は東京都の史跡に
東伊興周辺は、古墳時代には、毛長川流域の湿地帯で(まず、毛長川流域に人が定住)、水運を利用して、ヤマト王権との交流も行なわれていたと推測されています。
伊興の津に築かれたムラが伊興遺跡で、その周囲に古墳が築かれているのです。
白旗塚古墳は、直径約12m、高さ2.5mの円墳で、伊興古墳群(白旗塚古墳群)の1基。
文化文政年間(1804年〜1829年)に編纂された御府内を除いた武蔵国の地誌『新編武蔵風土記稿』には、源義家が奥州征伐の際、この塚で白旗をなびかせて戦ったとの逸話が記され、それが白旗塚の名の由来とされています。
現在、塚の中央には白幡神社が鎮座。
伊興古墳群を構成する擂鉢塚古墳(すりばちづかこふん)、甲塚古墳(かぶとづかこふん)、船山塚古墳は失われて現存していません。
実際の1里を曲尺の7尺2寸に縮尺して描いた江戸時代後期の『日光道中分間延絵図』には、擂鉢塚、甲塚とともに二本松塚として記され、さらに計8基の塚(古墳)が描かれていることから、多くは昭和30年代の住宅改良地区事業など、市街化で失われたことがわかります。
擂鉢塚古墳からは、形象埴輪(人物と馬)、円筒埴輪が出土していることから、伊興古墳群が築造された年代はおおよそ5世紀〜6世紀と推定されています。
伊興遺跡(伊興遺跡公園)が古墳時代の祭祀遺物が出土する集落跡なので、伊興古墳群の被葬者との関係性があるとも推測できます。
近年の調査で、入谷古墳(足立区入谷2丁目)は富士塚の可能性が大、さらに大谷田古墳(大谷田1丁目)は当初から古墳ではなかったと推測されることで、白旗塚古墳が足立区に現存する唯一の古墳ということになります。
白旗塚古墳(白旗塚史跡公園) | |
名称 | 白旗塚古墳(白旗塚史跡公園)/しらはたづかこふん(しらはたづかしせきこうえん) |
所在地 | 東京都足立区東伊興3-10-14 |
関連HP | 足立区公式ホームページ |
電車・バスで | 東武スカイツリーライン竹ノ塚駅駅から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 足立区生涯学習支援室地域文化課 TEL:03-3880-5984/FAX:03-3880-5603 |
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