柳森神社
東京都千代田区神田須田町2丁目、JR秋葉原駅近くの神田川沿いに鎮座するのは、柳森神社(やなぎもりじんじゃ)。長禄2年(1458年)、太田道灌が江戸城の鬼門(北東)除けとして京の伏見稲荷大社の分霊を現在の神田佐久間)に勧請…
東京都千代田区神田須田町2丁目、JR秋葉原駅近くの神田川沿いに鎮座するのは、柳森神社(やなぎもりじんじゃ)。長禄2年(1458年)、太田道灌が江戸城の鬼門(北東)除けとして京の伏見稲荷大社の分霊を現在の神田佐久間)に勧請…
東京都大田区本羽田3丁目、羽田神社境内にあるのが、羽田富士。明治元年、羽田の富士講・木花講(このはなこう)が築いた富士塚で、登拝用の登山道が設けられ、山頂には浅間神社が祀られています。例年7月1日には、『山開き』の神事が…
東京都板橋区小豆沢4丁目にある湧水池に祀られた不動明王が、御手洗池(御手洗不動旧跡)。近くにある真言宗智山派の寺、龍福寺の秘仏・薬師如来が出現したと伝えられる池で、江戸時代中期には大山詣での大山講、富士山登拝の富士講の講…
東京都足立区梅島2丁目にある稲荷社が、小右衛門稲荷神社。元和2年(1616年)、岩槻藩士・渡部小右衛門が一帯に小右衛門新田を開拓、その鎮守として倉稲魂命(うかのみたまのみこと)を勧請して創建した神社で、境内には昭和7年築…
東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが小塚原富士と呼ばれる富士塚。この塚があることから、一帯が小塚原と呼ばれるようになったという地名の由来で、神が降臨した塚を江戸時代後…
東京都清瀬市中里3丁目、住宅街のなかにポツンと残る小山が、中里富士山。江戸時代に隆盛した富士講の信者で、当時の中里村の講中が築いた富士塚。富士山に登ることができない人でも、同じ功徳を得られるということで築かれた富士塚で、…
東京都杉並区の善福寺公園東側、善福寺川の源流部に鎮座する古社が、井草八幡宮。平安時代に春日社(春日権現)として創建されましたが、源頼朝が奥州平泉の藤原泰衡を攻める際に、戦勝祈願を行ない、八幡宮になったもの。中世には武神(…
東京都文京区大塚5丁目にある真言宗豊山派の大本山が護国寺。5代将軍・徳川綱吉の生母・桂昌院(3代将軍・徳川家光の側室)の願いから、桂昌院の祈願寺として創建された寺ですが、境内には文化14年(1817年)に築かれた富士塚が…
東京都武蔵野市境南町2丁目、杵築大社(きづきたいしゃ)の境内にあるのが杵築大社の富士山。境富士と通称され、三多摩に現存するものでは清瀬・中里の富士塚に次いで2番目に規模の大きい富士塚です。明治14年5月、境村を中心に近隣…
東京都中央区、平安時代の承和8年(841年)創建と伝わる古社、鐵砲洲稲荷神社(てっぽうずいなりじんじゃ)の境内にあるのが鉄砲洲富士。江戸時代中期に富士講は隆盛し、江戸八百八町それぞれに講中が組織され、50ヶ所ほどの富士塚…
東京都豊島区高松2丁目、長崎神社の境外末社、富士浅間神社の境内にあるのが豊島長崎の富士塚。文久2年(1862年)に築造された高さ8m、直径21mという大規模な富士塚で、国の重要文化財に指定。塚の表面には富士山から運ばれた…
東京都台東区下谷2丁目の小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)の境内に築かれているのが下谷坂本の富士塚。下谷坂本富士とも通称される富士講の築いた高さ5m、直径16mの富士塚で、国の重要文化財に指定される5ヶ所の富士塚のひと…