芝大神宮
東京都港区芝大門1丁目、東京十社のひとつに数えられる古社が、芝大神宮(しばだいじんぐう)。神宮(伊勢神宮)の御厨(みくりや=神饌を調進するための神領)のひとつ、飯倉御厨に勧請された神明宮がルーツとされ、明治維新後に芝大神…
東京都港区芝大門1丁目、東京十社のひとつに数えられる古社が、芝大神宮(しばだいじんぐう)。神宮(伊勢神宮)の御厨(みくりや=神饌を調進するための神領)のひとつ、飯倉御厨に勧請された神明宮がルーツとされ、明治維新後に芝大神…
東京都文京区小石川3丁目、伝通院(傳通院)の墓地にあるのが、於大の方の墓(おだいのかたのはか)。於大の方は、慶長7年8月28日(1602年10月13日)、家康の滞在する伏見城(現・京都市伏見区)で没。墓所が伝通院ですが、…
東京都江東区、江東デルタ地帯を東西に横断し、隅田川と旧中川を結ぶ全長4640mの運河が小名木川。天正18年(1590年)、豊臣秀吉の命で、領地を取り上げられ、江戸に移封された徳川家康が、最初に行なったのが舟運の確保で、そ…
東京都江戸川区、江戸川6丁目にある区立公園が古川親水公園。江戸川の旧河道である古川の流れをそのまま全長1.2kmの公園にしたもので、昭和48年、日本初の親水公園として誕生。都会の中では修復不可能と思われていた清流を蘇らせ…
徳川家康が江戸入府の際、最初に参詣した寺といわれるのが増上寺。江戸時代には徳川家の祈願寺、菩提寺として繁栄しました。往時には武蔵国貝塚(今の千代田区麹町・紀尾井町あたり)にありましたが、江戸城の拡張で家康により芝に遷され…
文治3年(1187年)、源頼朝が安房国の洲崎神社(すさきじんじゃ=館山市洲崎)から、海上交通安全と、祈願成就の守護神として、天比理乃咩命(あまのひりのめのみこと)を勧請して祀り、品川大明神としたのが始まりという古社、品川…
東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「…
江戸城の二の丸と本丸の間を東西に隔てる濠(ほり)が白鳥濠(はくちょうぼり)。南北に長く伸びて本丸を守るかたちになっています。濠の北側は汐見坂で、築城初期にはこの坂から日比谷入江を眺めました。白鳥濠は、完全に独立した濠で、…
神田川と聞いて何をイメージするでしょうか? 年配の人はフォークの名曲『神田川』(昭和48年9月20日発売/南こうせつとかぐや姫)でしょうか? その源流が井の頭池で、江戸時代には江戸の人の暮らしを支えました。
1603(慶長8)年、徳川家康が、火難を防ぐ菩薩として中世の武将があつく信仰した、京・愛宕山(あたごやま)の勝軍地蔵(将軍地蔵)を勧請し創建した神社。海抜26mという小さな山の山頂にあるが、これは自然地形としては23区内…
東京で出世祈願のパワースポットといえば、江戸の昔から愛宕山の「出世の石段」。この「出世の石段」には、この石段を馬で駆け上がったという勇壮な武士の美談が残されています。その愛宕山には江戸時代、家康が京の愛宕山(あたごやま)…
正式名は神田神社ですが、江戸時代以前からの神田明神で知られる「江戸総鎮守」。今でも東京の都心部、神田、日本橋、秋葉原、大手町、丸の内など108の町々の総氏神となっています。京都の祇園祭、大阪の天神祭とならんで「日本の三大…