伝通院・於大の方の墓

伝通院・於大の方の墓

東京都文京区小石川3丁目、伝通院(傳通院)の墓地にあるのが、於大の方の墓(おだいのかたのはか)。於大の方は、慶長7年8月28日(1602年10月13日)、家康の滞在する伏見城(現・京都市伏見区)で没。墓所が伝通院ですが、寺名も於大の方の院号・伝通院に由来しています。

戦国末期、波乱の人生を送った家康の母・於大の方の墓所

伝通院・於大の方の墓

於大の方の父は、知多半島北部と三河刈谷を支配していた刈谷城主・水野忠政。
当時、今川方だった岡崎城主・松平広忠のもとへ嫁がせ、竹千代(家康)が誕生しますが、水野忠政の跡を継いだ兄・水野信元が織田方に与したため、松平広忠と離縁し、刈谷に戻ります。
その後、坂部城主・久松俊勝と再婚し、家康が江戸幕府を開く前年に伏見城で没しています。

徳川家康は、遺言により母・於大の方の遺骸を伏見城から江戸へ運び、大塚町の智香寺(智光寺)で火葬。
位牌は、於大の方の再婚相手である尾張国知多郡の坂部城主・久松俊勝(ひさまつとしかつ)の菩提寺である安楽寺(現・愛知県蒲郡市)に置いています。

慶長8年(1603年)、家康は於大の方を墓を建立し、伝通院を創建。
増上寺に次ぐ徳川将軍家の菩提所次席となり、芝・増上寺、上野・寛永寺と並んで江戸の三霊山と称されるようになったのです。
正保4年(1647年)、3代将軍・徳川家光の次男・亀松も伝通院に葬られ、以降はさらに幕府の加護を受けて繁栄しています。

昭和58年放送のNHK大河ドラマ『徳川家康』(滝田栄が徳川家康役)では大竹しのぶが、平成12年の『葵 徳川三代』(津川雅彦が徳川家康役)では山田五十鈴、平成29年の『おんな城主 直虎』(阿部サダヲが徳川家康役)では栗原小巻、そして令和2年の『麒麟がくる』(風間俊介が徳川家康役)では松本若菜が於大の方役を演じ、大河ドラマにも欠かせない役どころということがよくわかります。

伝通院・於大の方の墓
名称 伝通院・於大の方の墓/でんつういん・おだいのかたのはか
所在地 東京都文京区小石川3-14-6
関連HP 伝通院公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ丸ノ内線・南北線後楽園駅から徒歩15分
ドライブで 首都高速飯田橋出口から約1km
駐車場 20台/無料
問い合わせ 伝通院本坊寺務所 TEL:03-3814-3701/FAX:03-3816-7757
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
伝通院

伝通院

東京都文京区小石川の高台にある寺で、正式名は無量山傳通院寿経寺(むりょうざんでんづういんじゅきょうじ)ですが、一般に小石川の伝通院(でんづういん)と呼ばれています。伝通院という寺の院号は、徳川家康の生母・於大の方の法名「伝通院殿」にちなんだ

小石川善光寺

小石川善光寺

東京都文京区小石川3丁目にある浄土宗の寺が、小石川善光寺(正式名は月参堂縁受院善光寺)。伝通院の塔頭(たっちゅう・子院)、縁受院が前身で、慶長7年(1602年)、徳川家康の生母・於大の方(おだいのかた)の念持仏を安置して創建。明治17年、善

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