東京都新宿区新宿4丁目、江戸時代に内藤新宿(甲州街道、日本橋から数えて最初の宿場)で時を告げたのが、天龍寺・時の鐘。江戸市中に設置された9ヶ所(時代によって異なります)の時の鐘のうち、江戸城から離れていることから、毎朝、最初に撞いたのがこの天龍寺・時の鐘です。
内藤新宿に時を告げた時の鐘が現存!
天龍寺の鐘は、元禄13年(1700年)、5代将軍・徳川綱吉の側用人で、隠居した牧野成貞(まきのなりさだ/隠居後に三河吉田藩に加増転封)の寄進で、現存する鐘は明和4年(1767年)の鋳造。
総高155cm、口径85.5cm、多摩郡谷保村(現・国立市)の鋳物師(いもじ)・関孫兵衛の鋳造。
宿場として青梅街道との追分(分岐点)でもある内藤新宿が開設されたのは、元禄12年(1699年)のこと。
つまりは宿場開設の翌年に設置された時の鐘ということに(天龍寺は、牧野成貞の菩提寺)。
江戸城に登城する時を告げる鐘でもあり、江戸城から離れた場所にあったため、他の鐘よりも朝四半刻(30分)早く鐘が撞かれ、内藤新宿で夜通し遊興する人々を追出す合図ともなったため、「追出しの鐘」とも称されていました。
上野・寛永寺、市ヶ谷亀岡八幡とともに江戸の三名鐘とする説もありますが、江戸の三名鐘については増上寺を入れることもあり諸説あります。
江戸市中に時を告げた時の鐘は、当初は江戸城の城内にありましたが、江戸市街地の拡大に伴い、まず日本橋本石町に設置され、さらには浅草寺、上野・寛永寺など江戸城を囲む9ヶ所(日本橋本石町、上野・寛永寺、市ヶ谷八幡、赤坂田町・成満寺(戦後、多摩市に移転)、芝・増上寺、目白不動尊、浅草寺、本所横堀、内藤新宿・天龍寺=この順番で前の鐘の音を聞いて、鐘を鳴らしていました)で時を知らせるようになりました。
江戸市中の時の鐘は、先ず注意をひくために3度「捨て鐘」を撞き鳴らし、時打ちの鐘を撞いていました。
ただし、朝の時の鐘は天龍寺が最初だったため、正確を期すため、牧野成貞は鐘とともに高さ103センチのやぐら型の台にのった時計を寄進、時計をもとに朝の鐘を撞いていました。
天龍寺のやぐら時計は、新宿区の文化財に指定されています。
天龍寺・時の鐘 | |
名称 | 天龍寺・時の鐘/てんりゅうじ・ときのかね |
所在地 | 東京都新宿区新宿4-3-19 |
関連HP | 新宿観光振興協会公式ホームページ |
電車・バスで | 都営地下鉄新宿三丁目駅から徒歩3分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 天龍寺 TEL:03-3354-1011 |
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