東京都台東区と文京区の境、不忍池の池之端から、本郷の台地上へと上る坂が、無縁坂。旧岩崎庭園の北側の縁を上るので、赤レンガの壁が印象的です。さだまさし作詞・作曲でグレープの歌った『無縁坂』、里中満智子の漫画『無縁坂』、森鷗外の代表作『雁』の舞台にもなっています。
さだまさしの『無縁坂』は、この坂道のこと!
森鷗外は、明治25年(30歳の時)に夏目漱石が小説『吾輩は猫である』を書いたことで知られる「猫の家」から、現在の文京区立森鴎外記念館が建つ地にあった「観潮楼」(階の書斎から東京湾が遥かに見えることで命名)に転居。
大正11年7月9日、60歳で没するまでこの地で暮らしていたので、この無縁坂が『雁』(がん)の舞台にもなったのです。
「岡田の日々の散歩は大抵道筋が決まっていた。寂しい無縁坂を降りて、藍染川のお歯黒のような水の流れ込む不忍の池の北側を廻って、上野の山をぶらつく」(森鴎外『雁』)
『雁』では、主人公の岡田が散歩をする描写がありますが、まさに森鷗外が不忍池へと散歩するコースだったのだと推測できます(藍染川は暗渠となり、くねくねした「ヘビ道」として残っています)。
坂上の講安寺は、元和2年(1616年)、湯島天神下から現寺地に移転し、無縁山法界寺と称したのが無縁坂という坂名の由来。
無縁寺は法界寺創建の曳誉上人の隠居所として創建され、正保2年(1645年)、法界寺が坂下側の稱仰院大安寺、坂上の講安寺に分かれて、無縁寺という寺の名が失われています。
無縁坂 | |
名称 | 無縁坂/むえんざか |
所在地 | 東京都台東区池之端1丁目〜文京区本郷7丁目 |
電車・バスで | 東京メトロ湯島駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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