東京都荒川区、日光街道沿い、南千住の総鎮守が素盞雄神社(すさのおじんじゃ)。境内にあるのが矢立初めの句碑で、元禄2年3月27日(1689年5月16日)、46歳になった松尾芭蕉は、『奥の細道』の旅に千住から出発、最初の句を詠んだのがこの千住なのです。
文政3年の芭蕉忌に建立された矢立初めの句碑が境内に!
矢立とは、筆と墨壺を組み合わせた携帯用筆記用具で、旅行記を書き始めることが矢立初めです。
松尾芭蕉は、曾良を伴って江戸・深川(現・江東区)から船で大川(隅田川)を遡上して『奥の細道』への旅へと出立。
『奥の細道』の冒頭に、「月日は百代の過客(ひゃくだいのかかく)にして、行かふ年も又旅人也。・・・(中略)・・・ 彌生も末の七日、明ぼのゝ空朧々(ろうろう)として、月は在明にて光おさまれる物から、不二の峰幽かにみえて、上野・谷中の花の梢、又いつかはと心ぼそし。むつましきかぎりは宵よりつどひて、舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて、幻のちまたに離別の泪をそゝぐ。『行く春や鳥啼魚の目は泪』是を矢立の初めとして、行く道なおすすまず。人々は途中に立ならびて、後かげみゆるまではと、見送なるべし」と記されています。
素盞雄神社に「行く春や鳥啼魚の目は泪」の句碑が立てられたのは、文政3年10月12日(1820年11月17日)の芭蕉忌で。
江戸随一の儒学者で書家としても人気だった亀田鵬斎(かめだぼうさい)が銘文を、谷文晃(たにぶんちょう=亀田鵬斎の友人)の弟子で大川の対岸、関屋在住の化政期を代表する俳人・建部巣兆(たけべそうちょう=地元の住民と千住連を組織)が座像を手がけています。
現在のものは、平成7年、『素盞雄神社御鎮座1200年祭』に際に復元したもの。
この矢立初めの句碑がきっかけで、荒川区は平成27年3月14日に「荒川区俳句のまち宣言」を出し、俳句文化の興隆に尽力しています。
荒川区側から千住大橋を渡った足立区側の千住大橋公園にも、矢立初めの地碑、矢立初めの句碑が立ち、荒川区との間で、矢立初めの地論争を展開していますが、歴史ある句碑が立つのは、この素盞雄神社ということに。
素盞雄神社・矢立初めの句碑 | |
名称 | 素盞雄神社・矢立初めの句碑/すさのおじんじゃ・やたてはじめのくひ |
所在地 | 東京都荒川区南千住6-60-1 |
関連HP | 素盞雄神社公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ日比谷線・JR常磐線・つくばエクスプレス南千住駅、京成千住大橋駅から徒歩8分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 素盞雄神社 TEL:03-3891-8281/FAX:03-3891-0222 |
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