市谷亀岡八幡宮

市谷亀岡八幡宮

東京都新宿区市谷八幡町、市ヶ谷の外堀に臨む高台に建つのが、市谷亀岡八幡宮(いちがやかめがおかはちまんぐう)。文明11年1月27日(1479年2月18日)、太田道灌が江戸城築城の際して、西方の守護として鎌倉の鶴岡八幡宮の分霊を勧請して創建。近年ではペット守りペット祈願でも有名です。

太田道灌が鶴岡八幡宮の鶴に対して、亀岡と命名!

太田道灌は、鶴岡八幡宮から分霊を勧請したので、あえて鶴亀の吉祥から亀岡八幡宮と命名。

太田道灌が勧請した当初は、江戸・番町、市谷御門の内(現在の千代田区)にありましたが、戦火で荒廃。
徳川家康の江戸入府と江戸城の整備拡張で、外堀ができたのを機に外堀を見下ろす現社地(茶ノ木稲荷の建つ地)に遷座しています。

3代将軍・徳川家光、家光の側室で5代将軍・綱吉の生母・桂昌院(けいしょういん)も市谷八幡を尊崇し、再興され、市谷八幡宮と称するように。
別当(神社を管理する寺)は、東円寺でしたが、明治初年の廃仏毀釈、神仏分離で廃寺に。
江戸時代に門前にあった芝居小屋なども撤退し、江戸時代の門前の賑わいは失われました。

末社に金刀比羅宮があるのは、外堀を行き交う舟の安全を守護するために祀られたもの(江戸時代は金毘羅大権現)。

往時の壮麗な社殿は、空襲で失われ、現存する社殿は昭和37年の再建。

社宝に太田道灌が奉納したという(文政12年・1829年刊の『御府内備考』)、軍配団扇(ぐんばいうちわ)があり、新宿区の文化財になっています。
参道の銅製明神型鳥居(高さ4.6m)は、文化元年(1804年)に奉納されたもので、扁額の「八幡宮」は、播磨国姫路藩3代藩主で藩政改革に尽力した酒井忠道(さかいただひろ)の揮毫(きごう)。
八の字は鳩が向かい合う姿です。

あまり知られていませんが手水鉢の台座に「不」の字に似た記号が描かれていますが、実はこの記号、内務省地理寮による関八州三角測量が開始された明治8年頃に刻印された几号水準点。
イギリスの技術を導入した内務省地理寮は、近代的な測量を開始し、東京を中心に、「不」の字に似た記号を用いた几号水準点を設置していますが、そのひとつで、実に貴重なもの。
『東京実測図』(明治20年)に記された標高(水準点94.8尺、28.7m)は現在とほぼ変わっていません。

人気のペット守護の授与品は、生類守護御朱印御守、ペットお守り、傷病平癒お守りなど。
ペットの諸祈願は予約制です。
例年、1月半ばに『ペットと一緒の初詣』も行なわれ、11月1日から予約開始の完全予約制。

錦絵、江戸名所図会などに描かれた市谷八幡宮

市谷亀岡八幡宮
歌川広重『江戸名所百景 市ヶ谷八幡』/安政5年(1858年)
市谷亀岡八幡宮
長谷川雪旦(挿図)『江戸名所図会 市谷八幡宮』/天保7年(1836年)
市谷亀岡八幡宮
歌川広重(2世)『絵本江戸土産 市谷八幡表門』

『絵本江戸土産 市谷八幡表門』
市谷の総鎮守にしえ殊(こと)に大社なり。
傍(かたわら)に茶の木稲荷あり。
石階(せきかい)の左右みな茶の木っを植う。その表門前市谷御門外(いちがやごもんそと)にて四谷赤坂への往還(おうかん)なれば、常に往来(ゆきき)の間断なし。

江戸時代に流行した八八幡詣とは!?

江戸時代には富岡八幡宮(深川八幡宮/江東区富岡)、市谷亀岡八幡宮(市谷八幡宮/新宿区市谷八幡町)、穴八幡宮(高田の八幡宮/新宿区西早稲田)、大宮八幡宮(杉並区大宮)、鳩森八幡神社(千駄ヶ谷八幡/渋谷区千駄ケ谷)、金王八幡宮(渋谷八幡宮/渋谷区渋谷)、御田八幡神社(田町の八幡宮/港区三田)、西久保八幡神社(西の窪八幡宮)を1日で参拝する八八幡詣(ややはたもうで)が流行しました。
村尾嘉稜の紀行文『八八幡の記』には、天保2年6月9日(1831年7月17日)、72歳の村尾嘉稜が8社を回り、行程15里と記しているので、1日に詣でるとすれば60km以上の道のりになる計算。
八幡詣は渋谷と田町を除いて今戸と浅草御蔵前の石清水を入れることもあるという注釈も。

市谷亀岡八幡宮
名称 市谷亀岡八幡宮/いちがやかめがおかはちまんぐう
所在地 東京都新宿区市谷八幡町15
関連HP 市谷亀岡八幡宮
電車・バスで JR、東京メトロ有楽町線・南北線、都営新宿線市ヶ谷駅から徒歩3〜5分
駐車場 境内駐車場(6台)
問い合わせ 市谷亀岡八幡宮 TEL:03-3260-1868/FAX:03-3260-5368
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
市谷亀岡八幡宮

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