石田寺・土方歳三の墓

石田寺・土方歳三の墓

東京都日野市石田1丁目にある真言宗の寺が、石田寺(せきでんじ)。境内には新選組副局長・土方歳三の墓があります。土方家の菩提寺は高幡不動尊金剛寺で、石田寺はその末寺。土方歳三の位牌は金剛寺本堂の大日堂に納められていますが、墓は故郷の石田寺にあります。

箱館で戦死した土方歳三の墓は、故郷の石田寺に

石田寺・土方歳三の墓

土方歳三は、天保6年5月5日(1835年5月31日)、武蔵国多摩郡石田村(現・東京都日野市石田)の豪農の家に生誕(10人兄弟の末っ子)。
5月11日の命日以外でも年間を通して、献花の絶えることはありません。

文久3年(1863年)第14代将軍・徳川家茂(とくがわいえもち)警護のための浪士組に応募し、京へ赴き、新選組の発足で、近藤勇を補佐する副長に就任。
慶応4年(1868年)、戊辰戦争の初戦、鳥羽・伏見の戦いに敗れると、新撰組を「甲陽鎮撫隊」に改名して甲府で新政府軍を迎え撃とうとしますが、失敗し、甲州勝沼の戦いで大敗。

流山潜伏中に近藤勇は捕縛され、板橋刑場で処刑されますが、江戸開城後に、宇都宮、会津を経て仙台で榎本武揚(えのもとたけあき)率いる旧幕府海軍と合流し、蝦夷地(えぞち=現・北海道)へ。

間道軍総督となって箱館(現・函館)・五稜郭を占領しますが、明治2年5月11日(1869年6月20日)、新政府軍の箱館総攻撃で戦死しています(満34歳)。

函館市若松町の若松緑地公園に「土方歳三最期の地碑」が立っています。
遺体は五稜郭内に埋葬されたともいわれていますが、当時は賊軍の扱いのため、定かでありません。

石田寺
名称 石田寺/せきでんじ
所在地 東京都日野市石田1-1-10
関連HP 日野市観光協会公式ホームページ
電車・バスで 多摩モノレール万願寺駅から徒歩5分
問い合わせ 石田寺 TEL:042-583-6660
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
石田寺

石田寺

東京都日野市石田1丁目にある真言宗の寺が、石田寺(せきでんじ)。愛宕山地蔵院石田寺が正式名で、高幡不動尊金剛寺の末寺。新選組副局長・土方歳三(ひじかたとしぞう)が生まれた旧石田村(いしだむら)にあり、境内には土方歳三の墓があります。日野七福

石田寺・土方歳三の墓

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