関前高射砲陣地跡(グリーンパーク遊歩道)

関前高射砲陣地跡(グリーンパーク遊歩道)

東京都武蔵野市関前3丁目、かつて陸海軍の航空機のエンジンを製作していた中島飛行機武蔵製作所への引込線だったグリーンパーク遊歩道途中にあるのが、関前高射砲陣地跡(せきまえこうしゃほうじんちあと)。戦時中、中島飛行機武蔵製作所は8回もの空爆を受けていますが、その防衛のために築かれた高射砲陣地です。

中島飛行機武蔵製作所を防衛する高射砲のあった地

関前高射砲陣地跡(グリーンパーク遊歩道)
昭和20年4月、アメリカ軍撮影の高射砲陣地周辺

中島飛行機武蔵製作所は、当時国内で最新鋭の設備を誇り、最先端の航空エンジンを組み立てていたことから(零戦と通称される零式艦上戦闘機が搭載していたエンジンは中島飛行機製の空冷星形14気筒「栄」)、アメリカ軍の空爆の対象となり、昭和19年11月から昭和20年8月8日までに9回もの空爆を受け(爆撃機数は延べ505機、投下爆弾は合計2602.5t)、工場関係者だけでなく、周辺住民も多数犠牲になっています。

その中島飛行機武蔵製作所を守備したのが関前高射砲陣地で、高射砲6門を半円形に配置していました。

高出力を維持できるエンジンや与圧室を装備した戦略爆撃機B29による爆撃は、1万mという高高度から行なわれたため、高射砲で迎撃したのですが、多くは飛行高度まで届かず、さほどの戦果を上げていません。
昭和20年4月12日には1トン爆弾が投下され、高射砲陣地や周辺の住宅を破壊されたほか、引込線も被弾しています。

武蔵野市では戦争や空襲の悲惨さを後世に伝えるため、武蔵野の空襲などに関係する場所に、平和案内説明板を設置しています。
関前高射砲陣地跡は、健康遊具が並べられた広場と草地となっていて、往時の遺構は残されていません。

武蔵野市内には現在の成蹊大学の場所も軍部に接収され、「トラスコン」(屋内運動場)が三菱電機成蹊工場となり、レシーバーの組立てが行なわれ、運動場部分に防空壕と高射砲が設置されています。

関前高射砲陣地跡(グリーンパーク遊歩道)
名称 関前高射砲陣地跡(グリーンパーク遊歩道)/せきまえこうしゃほうじんちあと(ぐりーんぱーくゆうほどう)
所在地 東京都武蔵野市関前3-12-1
電車・バスで JR三鷹駅から徒歩20分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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