東京都港区赤坂7丁目、第20代日本国総理大臣・高橋是清の邸宅跡を公園にしたのが、高橋是清翁記念公園(たかはしこれきよおうきねんこうえん)。昭和13年、高橋是清記念事業会が東京市に寄与し、昭和16年に記念公園として開園したもので、日本庭園の趣きを有した美しい公園です。
二・二六事件では、ここにあった自邸で暗殺される!
高橋是清の邸宅は2000坪という広大な敷地で、高橋是清翁記念公園だけではなく、隣接するカナダ大使館までが邸宅跡です。
青山通りを隔てた向かい(北側)は、赤坂御用地という一等地。
明治11年に赤坂区役所が建った場所で、明治34年、高橋是清邸の自邸が竣工し、昭和11年2月26日の二・二六事件で殺害されるまで(殺害時は大蔵大臣)、高橋是清は生涯をこの邸宅で過ごしています。
二・二六事件で暗殺されたのも、赤坂の自邸で。
高橋是清は、明治38年、貴族院議員に勅撰され、日銀副総裁を務めながら横浜正金銀行頭取を兼任後、日本銀行の総裁に就任。
大正2年には第一次山本権兵衛内閣の大蔵大臣に就任、この時立憲政友会に入党、大正7年9月の原敬内閣で大蔵大臣に就任。
大正10年11月、原敬総理暗殺事件で、後継の内閣総理大臣に就任し、大蔵大臣を兼任。
立憲政友会は大正デモクラシーの波に乗り、発展していますが、普通選挙法には時期尚早という姿勢でした。
大正13年に隠居していますが、昭和2年、金融恐慌の勃発で、田中義一内閣の大蔵大臣に就任、昭和6年、犬養内閣の大蔵大臣に就任し、犬養総理暗殺事件(五・一五事件)で、再び内閣総理大臣を10日間臨時兼任、斎藤内閣の大蔵大臣に留任。
昭和9年、岡田内閣で大蔵大臣となり、昭和11年2月26日、赤坂の自邸で暗殺(満81歳)。
高橋是清邸は、平成5年、小金井市、小金井公園の「江戸東京たてもの園」の移築公開されています。
公園内にある銅像は、晩年の高橋是清を描いた座像で、昭和15年、彫刻家・齋藤素巌(さいとうそがん)の制作で建立。
初代は戦時中に金属供出で失われ、現在の像は昭和30年に齋藤素巌の習作を元に再建したもの。
高橋是清翁記念公園 | |
名称 | 高橋是清翁記念公園/たかはしこれきよおうきねんこうえん |
所在地 | 東京都港区赤坂7-3-39 |
関連HP | 港区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ・都営地下鉄青山一丁目駅から徒歩5分 |
問い合わせ | 港区赤坂地区総合支所 TEL:03-5413-7015/FAX:03-5413-2019 |
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