小野照崎神社

小野照崎神社

東京都台東区下谷にある小野篁(おののたかむら)を祭神とする古社が小野照崎神社(おのてるさきじんじゃ)。溶岩を積んだ富士塚「下谷坂本富士」があることから地元では「お富士さん」と呼ばれています。境内に残る11基の塔が残る庚申塚(こうしんづか)は、日本三庚申に数えられた入谷庚申堂の名残とか。

境内には富士塚「下谷坂本富士」がそびえる

小野照崎神社

小野篁は、平安時代前期に活躍した学者で歌人。
遣隋使・小野妹子の子孫にあたります。

小野篁が陸奥国司の任期を終え、帰洛の途についた際、上野照崎の地(現在の忍岡中学付近)で上野殿(諫議亭)を築き、里人を教化したと伝承されています。

社伝によれば、仁寿2年12月22日(853年2月3日)、小野篁が京で没したのを機に奉斎したのが小野照崎神社の起源で、江戸・寛永年間、寛永寺の建立のために坂本村の長左衛門稲荷社の鎮座した現社地に遷座。
明治以前の神仏習合時代には天台宗の小野照山嶺照院(東京都台東区下谷2-18-2/関東大震災後、帝都復興で昭和通りを新設するため坂本から下谷に移転)が別当(神社を管理する寺)を務めていました。
嶺照院は、寛永6年(1629年)の創建なので、その頃に遷座したと推測できます。

江戸末期、回向院より菅原道真自刻と伝わる像を迎えて相殿に祀り、「江戸二十五天神」の一社にも数えられています。

境内にある富士塚「下谷坂本富士」は、江戸時代後期の文政11年(1828年)に築造されたもので、国の重要有形民俗文化財。
下谷坂本の山本善光と大坂屋甚助の2人は入谷東講(富士講)を起こし、山本善光は先達となり、大坂屋甚助は講元を引き受けています。
そして小野照崎神社境内地と隣接の大坂屋甚助の私邸の一部にまたがって富士塚を築きました。
高さは約5m、直径は16mという立派な人工山。
ちなみに下谷坂本富士の「下谷坂本」というのは旧町名で現在の下谷、北上野、入谷界隈にあたります。
毎年富士山の開山に合わせて6月30日と7月1日に山開きが行なわれ、この時だけ登頂できる仕組み。

現存する社殿は、幕末の慶応2年(1866年)の築で、関東大震災や東京大空襲での焼失も免れています。

生活苦打開のため、吉原遊郭近くの下谷龍泉寺町(現・台東区竜泉1丁目)に荒物と駄菓子を売る雑貨店を開いた樋口一葉も、名著『たけくらべ』に「打つや皷のしらべ、三味の音色に事かゝぬ場處(ばしょ)も、祭りは別物、酉の市を除けては一年一度の賑ひぞかし、三嶋さま小野照さま、お隣社づから負けまじの競ひ心をかしく」と記しています。

小野照崎神社
下谷坂本富士
日本三庚申に数えられた入谷庚申堂(喜宝院庚申堂)
『江戸名所図会』に「喜宝院に安ず。摂の四天王寺の青面金剛と同作の霊像となりといへり。」とあり、入谷庚申堂は、喜宝院庚申堂が正式名。
庚申像は、聖徳太子作とされていましたが、現存していません。
境内に残る庚申塚、青面金剛などは、この喜宝院庚申堂の名残。

小野照崎神社
『江戸名所図会』に描かれる入谷庚申堂(喜宝院庚申堂)

小野照崎神社 DATA

名称 小野照崎神社/おのてるさきじんじゃ
所在地 東京都台東区下谷2−13−14
関連HP 小野照崎神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ日比谷線入谷駅から徒歩5分。JR鶯谷駅から徒歩10分
問い合わせ TEL:03-3872-5514/FAX:03-3872-4238
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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