東京都新島村、式根島の南岸にあるビーチが石白川海水浴場(いしじろがわかいすいよくじょう)。江戸時代は無人島だった式根島は、明治になって島に入植する際、最初に築かれたまいまいず井戸を中心に集落が発展しました。そのまいまいず井戸近くにある海岸で、夏に海水浴場となるのが石白川海水浴場です。
集落近くにある便利な海水浴場
海岸の近くに集落があるため、レストランや商店も徒歩圏内という便利なビーチ。
式根松島と呼ばれるような風光明媚な環境で、かつあまり人出も多くなく、プライベートビーチ気分で泳げることが人気のポイントです。
ビーチの右手にあるのは、標高43mの出島で、沖のモオヤ岩や出島が防波堤に。
トイレ、シャワーがあるほか、夏期には売店が営業し、日中、ライフガードが常駐します。
砂浜が白いのは、海岸段丘に厚さ20mほどの火山灰層があるから。
火山灰が白色の流紋岩質であることから、美しい白いビーチが生み出されているのです。
水着着用で入浴する露天風呂の「松が下 雅湯」へは徒歩圏内なので、身体が冷えたら温泉に直行するという手もあります。
式根松島で行なわれた製塩事業とクロマツ
石白川海水浴場など、白砂青松といわれる式根松島ですが、松は江戸時代に植林されたものも多いのだとか。
一帯は、江戸時代初期に10根年間ほど製塩が行なわれた場所で、塩釜で海水を煮詰めるのに大量の燃料として松を消費するため、伐採しては植林するという森林再生事業が行なわれていました。
明治時代に島に人が住むようになった際、クロマツは防風林としての重要な役目もあったため、大切にされたのです。
石白川海水浴場の西隣、釜の下海岸の石白川海水浴場寄りには塩釜の跡(新島村の史跡に指定)があり(釜の下海岸の名は、塩釜に由来)、明治時代に建立された供養碑が立っています。
寛永19年(1642年)に始まった式根島の製塩は、天領で、流人の島でもあった新島に果たされた年貢で、新島から36人の釜衆が式根島に渡り、揚げ浜式の製塩を行なったのです。
伝説では、船頭・新八が年貢塩の不足に際し、身の潔白を証すため、煮えたぎる塩釜に身を投じたといい、当時の過酷な年貢、そして製塩事業を物語っています。
その事件があった後、承応元年(1652年)に式根島での製塩事業は中止になっています。
石白川海水浴場 | |
名称 | 石白川海水浴場/いしじろがわかいすいよくじょう |
所在地 | 東京都新島村式根島 |
関連HP | 式根島観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 野伏港から徒歩25分(野伏港へは新島港から新島村営船で10分) |
ドライブで | 式根島港から約650m |
問い合わせ | 式根島観光協会 TEL:04992-7-0170/FAX:04992-7-0448 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |