山本有三がそこに暮らし、『路傍の石』、『米百俵』などを執筆した洋館を再生して記念館としたのが三鷹市山本有三記念館。実業家・清田龍之助の住宅として大正15年に建てられたレトロな洋館で、昭和11年に山本有三が購入し、三鷹村(現・三鷹市)下連雀に転居しました。建物の南側には有三記念公園があり、緑豊かな一画になっています。
山本有三暮らし、執筆した洋館を記念館として公開
一帯は、大正8年の吉祥寺駅開業を機に開発され、関東大震災後の郊外移転ブームにのって開発された閑静な南井之頭田園住宅。
山本有三は、売り出された洋館を昭和11年に購入し、進駐軍に接収される昭和21年まで、家族(母ナカ、妻はな、4人の子供)とともにここに暮らしています。
「三鷹は私にとって忘れがたい土地である」というのは、この閑静な環境と素敵な洋館があればこそ。
館内は、往時の書斎などを復元し、山本有三の生涯と作品を紹介する記念館となっています。
1階に長女の部屋、応接間、食堂、イングルヌック(暖炉と暖炉脇の空間)、テラス、2階に和室書斎、洋室書斎、書庫、長男の部屋、展示室、バルコニーがあります。
建物の南側に広がる有三記念公園は、芝生が広がり、山本有三の愛した竹も植林されています。
三鷹市山本有三記念館が建つのは、玉川上水に沿った立地で、すぐ近くには太宰治が昭和23年6月13日、愛人と入水した場所も。
路傍の石
昭和12年1月、朝日新聞で『路傍の石』連載が始まりましたが、戦時色が濃くなる中、検閲によって第1部を書き終えたところで連載は中止に。
翌年、『主婦之友』に『新編 路傍の石』として改めて連載を開始しますが、やはり検閲で昭和15年8月号に「ペンを折る」を記すと、二度とその先を書くことはありませんでした。
三鷹市山本有三記念館の玄関先には、山本有三が、『路傍の石』を執筆時、道端で見つけ、裏庭まで運ばせたといういう石も残されています。
翌年、『主婦之友』に『新編 路傍の石』として改めて連載を開始しますが、やはり検閲で昭和15年8月号に「ペンを折る」を記すと、二度とその先を書くことはありませんでした。
三鷹市山本有三記念館の玄関先には、山本有三が、『路傍の石』を執筆時、道端で見つけ、裏庭まで運ばせたといういう石も残されています。
三鷹市山本有三記念館 | |
名称 | 三鷹市山本有三記念館/みたかしやまもとゆうぞうきねんかん Mitaka City Yuzo Yamamoto Memorial Hall |
所在地 | 東京都三鷹市下連雀2-12-27 |
関連HP | 三鷹市スポーツと文化財団ホームページ |
電車・バスで | JR三鷹駅から徒歩10分 |
ドライブで | 中央自動車道調布ICから約7.2km |
駐車場 | 2台/無料 |
問い合わせ | 三鷹市山本有三記念館 TEL:0422-42-6233/FAX:0422-41-9827 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |