紙の博物館

東京・王子の飛鳥山公園の一画に建つのが紙の博物館。昭和25年に王子製紙王子工場跡地に製紙記念館として開館したのが前身で、「洋紙発祥の地」・王子の歴史を今に伝えるミュージアムとなっています。王子は、明治初期に近代的な製紙工場のさきがけとなった抄紙会社(後の王子製紙王子工場)が設立された地。

世界屈指の紙の博物館が飛鳥山公園に!

明治6年、渋沢栄一の手によって東京府王子村(現・東京都北区/現在の京浜東北線王子駅の東側)に日本で最初の洋紙工場「抄紙会社」が誕生。
機械・建築技師としてフランク・チースメン(イギリス人)と抄紙技師にトーマス・ボツトムリー(アメリカ人)を雇用。
洋式ホテルがないため、亀山(現・東京都北区岸町1丁目)に洋館を建設しています。

翌明治7年には印刷局がその隣接地に印刷所を設立。
明治8年12月16日には王子製紙の工場が稼働を開始し、王子村一帯は、日本の洋紙生産の中心地となります。
工業用水には千川上水から分流させた王子分水を使っています。

明治10年、渋沢栄一は飛鳥山に土地を購入、邸宅を築いて別荘として使っています。

王子製紙王子工場跡地にあった製紙記念館は、首都高速中央環状王子線建設によって移転を余儀なくされ、平成10年、飛鳥山公園の中に「飛鳥山3つの博物館」のひとつとして新装オープン。

常設展示では、現代の製紙産業、紙の教室、紙の歴史を詳しく紹介しています。

王子が「洋紙発祥の地」となったワケは!?
渋沢栄一が王子に製紙工場を建設した理由は、当時洋紙の原料だった木綿の古布の供給に適した場所だったこと、製品の消費地に近いこと、工業用水(千川上水の王子分水)が供給できること、石神井川・隅田川の舟運が利用できること。
幕末に徳川幕府が大砲製造所(現・醸造試験所跡地公園)を設置するために掘削した用水路が王子分水。
結局、明治維新となって大砲製造所は建設されませんでしたが、王子分水は、文明開化とともに大活躍。
明治維新後には抄紙会社、大蔵省紙幣寮抄紙局(明治9年4月5日操業開始/現在の財務省印刷局王子工場)、鹿島万平が築いた紡績工場などの工業用水に活用されました。
日本鉄道会社高崎線上野-熊谷間開通にともなって王子駅が開業するのは明治16年のこと。

渋沢栄一

 

紙の博物館
名称 紙の博物館/かみのはくぶつかん
Paper Museum
所在地 東京都北区王子1-1-3
関連HP 紙の博物館公式ホームページ
電車・バスで JR・東京メトロ南北線王子駅から徒歩5分
ドライブで 首都高速王子北ランプから約1.6km
駐車場 飛鳥山公園駐車場(21台/有料)を利用
問い合わせ 紙の博物館 TEL:03-3916-2320/FAX:03-5907-7511
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 

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