七社神社

江戸時代には七所明神社といい西ヶ原村(現・北区西ヶ原)の鎮守。神仏混淆(しんぶつこんこう)の江戸時代には別当寺(神社を管理する寺)である無量寺の境内にありました。祭神は、紀伊国高野山の四社明神を勧請し、これに天照大神、春日神、八幡神の三柱を合祀したのが七所(七社)の由来です。


 

明治維新で一本杉神明宮の建つ地に遷座

 

拝殿
舞殿と御神木

江戸時代までは仏宝山西光院無量寺境内の高台、現在の旧古河庭園内に鎮座したという七社神社。明治維新の廃仏毀釈、神仏分離で一本杉神明宮の社地に遷り、一本杉神明宮は天祖神社と称するようになりました。

七社神社の由来は、1793(寛政5)年の火災によって、社殿をはじめ古文書・古記録を焼失したため、定かでありません。

一本杉神明宮と通称された元になった巨大な杉は残念ながら枯れてしまい、伐採されましたが現在も切り株だけが残されています。
境内には旧古河邸の主だった古河家(古河虎之助男爵)寄贈の孔子像と孟子像があります。

4月中旬には、社殿の左右にある八重桜で淡い緑色の花をつける「御衣黄」と大輪の淡い紅紫の花の「福禄寿」が開花。

抄紙会社(後の王子製紙)を創業し飛鳥山に邸宅を構えた渋沢栄一郎と、古河財閥の古河虎之助は、王子電気軌道(現在の都電荒川線)開通による道路拡張で、西ヶ原一里塚の存続が危ぶまれた時、土地を寄付して、保存活動に尽力しています。

七柱を祀る拝殿
孔子・孟子像

七社神社のご祭神

七社というようにご祭神は7柱。というわけで御利益(ごりやく)も多様です。
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)=伊邪那美命と結婚し、国生みを成し遂げた天津神(高天原の神)
伊邪那美命(いざなみのみこと)=伊邪那岐命と結婚し、国生みを成し遂げた天津神(高天原の神)
天児屋根命(あめのこやねのみこと)=天照大神が天の石屋に閉じこもった際「祝詞(のりと)」を奏上した神
伊斯許理度賣命(いしこりどめのみこと)=「八咫鏡」を鋳造した、鏡作りの祖神
市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)=宗像三女神の一柱で航海守護、水の神様
仲哀天皇(ちゅうあいてんのう)/帯中日子命(たらしなかつひこのみこと)=応神天皇の親、日本武尊(倭建命)の子
応神天皇(おうじんてんのう)/品陀別命(ほむだわけののみこと)=神功皇后の子で、八幡信仰の祖

七社神社のおもな年中行事

1月1日〜3日/歳旦祭・初詣=境内に羽子板・お手玉・けん玉を用意し、自由に遊ぶことができます
2月節分の日/節分祭追儺式(豆まき)=境内に桟橋が設けられ、福男・福女など150名以上の奉仕者により追儺の神事(18:00〜19:30の間、10回にわけて豆まき)
6月1日〜7月7日/茅の輪くぐり=夏越の大祓の一環として、境内に茅の輪を設置。茅の輪くぐりの神事で、心身の清浄と無病息災を祈ります
6月28日/大祓式=夏越の大祓=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢(けがれ)を払います
9月秋分の日とその前日/例祭=神輿の渡御と、舞殿で国の無形民俗文化財に指定される「江戸里神楽」(重要無形文化財保持者・松本源之助氏)が奉納されます。舞殿境内や参道に多くの露店が並びます
11月15日/七五三=7歳、5歳、3歳の子どもの成長を祝い、健やかに育つことを祈願します
12月1日〜1月7日/茅の輪くぐり=年越の大祓の一環として、境内に茅の輪を設置。茅の輪くぐりの神事で、心身の清浄と無病息災を祈ります
12月28日/年越の大祓=半年間、知らず知らずのうちに積もった罪と穢(けがれ)を払います
12月31日/焼納祭・除夜祭=古神札などを浄火で焼いて新年を迎えます

年越の大祓(茅の輪くぐり)

旧一本杉神明宮

現在、七社神社の建つ社地は明治初年の廃仏毀釈、神仏分離までは、一本杉神明宮(いっぽんすぎしんめいぐう)の社地でした。神明宮は、天照大神を祭神とする神宮(いせじんぐう)の神々の分霊を勧請した伊勢信仰に由来する社。樹齢1000年以上といわれる杉のご神木が、日光御成道沿いの境内に聳え立っていたため一本杉神明宮と通称されていました。

七社神社がこの地に遷座したことにより、神明宮は七社神社の摂社となり、天祖神社となっています。
巨杉のご神木は、残念ながら明治44年、地上3mほどのところを残して伐採され、今では切株だけが残されています。
江戸切絵図(下の切絵図を参照)などには、神社の名とともにしっかりと杉も描かれています。

七社神社の摂社。左から天祖神社(旧一本杉神明宮)、稲荷神社、熊野神社

江戸名所図会に見る七社神社

江戸六阿弥陀第三番の無量寺内にあった時代の七社神社(絵図では七の社と記載)。江戸六阿弥陀詣(豊島・西福寺、沼田・延命院=現・恵明寺、西ヶ原・無量寺、田端・与楽寺、下谷・広小路常楽院、亀戸・常光寺)の第三番目の阿弥陀として親しまれていました。春と秋の彼岸に極楽往生を願い阿弥陀如来を巡拝する風習があったのです。明治の廃仏毀釈、神仏分離で、広大な寺地の多くを失い、東側の大部分が古河邸(現・旧古河庭園)になっています。

江戸切絵図に見る七社神社



 

七社神社
名称 七社神社/ななしゃじんじゃ
所在地 東京都北区西ヶ原2-11-1
関連HP 七社神社公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ南北線西ヶ原駅2番出口から徒歩2分。JR上中里駅・王子駅から徒歩10分
駐車場 祈願・お参りの場合は境内に駐車可能
問い合わせ 七社神社社務所 TEL:03-3910-1641/FAX:03-3910-1641
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
 

関連記事

よく読まれている記事