都電荒川線の前身、王子電気軌道とは!?

東京に残る唯一の路面電車、都電荒川線(東京さくらトラム)は、その前身が私鉄の王子電気軌道だということは、あまり知られていません。日露戦争後の都市交通の需要増大を受け、明治44年8月、飛鳥山上(現・飛鳥山)〜大塚間を開業したのが始まりで、電力会社として周辺に電灯の供給なども行なっていました。

戦時下に東京市電となり、王電は消滅!

路面電車がルーツの私鉄としては、京王電鉄も同じで、前身の京王電気軌道が大正2年4月15日、笹塚駅〜調布駅間を開業していますが(現在の京王線ですが、当時は路面電車でした)、終戦直後の昭和20年10月1日に改軌して、鉄道になっています。

王子電気軌道は、大正2年4月、飛鳥山下(現・梶原)〜三ノ輪(現・三ノ輪橋)間(三ノ輪線)を開業、10月に飛鳥山下〜栄町、そして大正4年4月17日には王子〜飛鳥山間が開通しています。

関東大震災後の大正14年11月12日、大塚駅前〜鬼子母神前、栄町〜王子開業、三ノ輪〜王子〜大塚駅前の直通運転が開始されています。

さらに昭和2年12月15日には王子柳田〜赤羽が全通。
この赤羽電停は、今の東京メトロ南北線・赤羽岩淵駅あたりにありましたが、当時はまだ日光例幣使街道・岩淵宿の名残があったのです。

昭和3年12月25日、鬼子母神前〜面影橋開業、昭和7年1月17日には早稲田まで延伸しています。
王子〜池袋駅、王子〜赤羽駅、池袋駅前〜鬼子母神裏などには乗合バスも運行、この頃が王電と呼ばれた王子電気軌道の最盛期でした。
昭和2年には三ノ輪橋に自社ビルの「王電ビルヂング」も完成しています。

昭和17年2月1日、戦時下での電力統制と交通統制(公有化が進みました)で、東京市に事業譲渡。
王子電気軌道株式会社は清算となり、王子電気軌道の路線はすべて東京市電が継承したのです。

昭和18年7月1日、都制施行で市電から都電に変わり、モータリゼーションの波を受け、昭和47年11月12日、王子駅前〜赤羽が廃止に。

残る荒川線も廃止の予定でしたが、代替のバス輸送を行なう明治通りが慢性的に渋滞すること、荒川線は一部を除いて専用軌道だということから、奇跡的に存続が決まったのです。
「王電ビルヂング」は、梅沢写真会館として三ノ輪橋に現存しています。

都電荒川線の前身、王子電気軌道とは!?
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東京さくらトラム(都電荒川線)

東京さくらトラム(都電荒川線)

三ノ輪橋停留場(東京都荒川区)と早稲田停留場(新宿区)を結ぶ全長12.2kmの路面電車が東京さくらトラム(都電荒川線)。王子電気軌道が前身で、専用軌道部分が多いことから奇跡的に残った都電で唯一の路線で、都内の路面電車が都電荒川線と、東急世田

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