伊豆七島・神津島に残される「トロッコ軌道」の遺構とは!?

伊豆七島のひとつ、神津島(東京都神津島村)。島の北部、名組湾(なぐみわん)に残されているのが「トロッコ軌道」の遺構。全長500mの木製遊歩道「赤崎遊歩道」の近くにありますが、訪れる人はもちろん、知る人も少ない穴場の地となっています。トロッコ軌道は昭和17年に敷設、昭和30年代に廃線に。

神戸山の採石場から索道とトロッコ軌道で、抗火石を船積み

神津島は、新島(にいじま)と同様に天然の耐酸断熱材である抗火石(こうがせき)を産する島です。
高温(900℃)に耐え、熱伝導率が低いことから抗火石と名付けられた火成岩の一種で、ブロック建築用石材、煙突の用材、暖炉、さらに防火建築として外装用にも用いられたほか、防水性を活かして金魚鉢などにも使われました。

新島でも大正時代から大規模な産出が始まっていますが、神津島も北端の神戸山(こうべやま/標高269m)から抗火石を切り出す事業が日産化学工業によって昭和17年頃にスタート。
神戸山山上の採石地から西側直下の名組湾まで索道(運搬用のロープウェイ)が敷設され、その先をトロッコ軌道で運び、海岸(ボンブ)で運搬船に荷積みされていました。

戦後、神戸山には現在も残る車道が開削され、抗火石の採石は、平成12年まで行なわれていましたが、名組湾からの搬出は昭和30年代に終了しています。
名組湾まで道路が通じたのは、昭和60年代初めのことで、往時はここから船に積むのがもっとも効率の良い搬出方法だったのです。

名組湾には、トロッコ橋(トロッコ軌道のコンクリート製基盤)、運搬に使われたトロッコの車軸、切り出した抗火石などが残され、往時を偲ぶことができます。

トロッコ軌道跡は荒廃が進んでいるので、探検の際には十分な注意が必要(崩落の危険もあります)。

現役時代のトロッコ軌道(TOPの画像と同じ場所です)
抗火石をトロッコからクレーンで船積みして搬出
伊豆七島・神津島に残される「トロッコ軌道」の遺構とは!?
所在地 東京都神津島村名組山
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