大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)

大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)

東京都千代田区霞が関、日比谷公園横に建つのが弁護士会館。この場所が、大岡越前守忠相(おおおかえちぜんのかみただすけ)こと大岡忠相が屋敷を構えた地。8代将軍・徳川吉宗が進めた享保の改革を、江戸南町奉行として支えて活躍。大岡政談は、講談、小説、映画、テレビ時代劇の題材となっています。

出世して大名となった晩年、大岡家の上屋敷があった地

大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)
大岡紀伊守は、忠相の子、西大平藩2代藩主・大岡忠宜(おおおかただよし)

1700石の旗本・大岡忠高の四男で、同族の1920石の旗本・大岡忠真(おおおかただざね)の養子となり、忠真の娘と婚約。
養父亡き後に家督を継ぎ、書院番を経て山田奉行(伊勢奉行)に。
享保2年(1717年)、江戸町奉行(南町奉行)に就任、就任の際に同じ奉行職に「能登守」がいるため(後に廃止される中町奉行が能登守だった坪内定鑑)、「越前守」に改めています。

享保の改革では手腕を発揮し、享保3年(1718年)、町火消組合を創設、さらに享保5年(1720年)、「いろは四十七組」に再編成しています。
享保6年(1721年)、目安箱に施薬院設置を嘆願する投書があったため、小石川養生所の設置に尽力しています。
農業では、青木昆陽を登用してサツマイモの栽培を奨励、商業では株仲間の公認など様々な政策を実現。

その後、元文元年(1736年)に寺社奉行に転任、さらに寛延元年(1748年)、加増されて、三河国西大平(現・岡崎市)に西大平藩を立藩、大名となります。
町奉行から大名に出世した唯一の例となったのです。
ただし、藩主は江戸に居住し参勤交代をしない定府大名でした。

現在の弁護士会館の建つ霞が関には、大名となった大岡家の上屋敷が、元赤坂1丁目には下屋敷がありました。
大岡忠相の屋敷跡に弁護士会館が建つのも、歴史の綾(あや)なのでしょうか。

大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)
名称 大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)/おおおかえちぜんのかみただすけやしきあと(べんごしかいかん)
所在地 東京都千代田区霞が関1-1
関連HP 千代田区観光協会公式ホームページ
電車・バスで 東京メトロ霞ケ関駅から徒歩1分
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
大岡越前守忠相屋敷跡(弁護士会館)

関連記事

よく読まれている記事