東京都千代田区霞が関3丁目、東京メトロ銀座線・虎ノ門駅の北西側に建つ文部科学省の敷地内には、江戸城外濠の一部となる石垣が現存しています。ここが江戸城三十六見附のひとつ、虎ノ門見附があった場所。虎ノ門駅の地下通路(文部科学省連絡通路)には地下展示室が設けられています。
江戸時代初期、日比谷入江の埋め立て時に構築

江戸城は、元和8年(1622年)頃に内濠のが完成、慶長9年(1604年)〜寛永13年(1636年)の江戸城天下普請で築かれたのが江戸城外濠です。
慶長12年(1607年)、日比谷入江が埋め立てられ、虎ノ門から幸橋門までの濠を開削し外郭部分を築いていますが、その際に虎ノ門の石垣も構築されています。
虎ノ門見附は、佐賀藩主・鍋島勝茂らによって江戸城の外郭を守備する門として築かれたもの。
寛永元年(1624年)に東海道が完成すると、江戸城内郭(内堀に囲まれた区域)を守備する桜田門、外郭の虎ノ門見附(虎ノ門御門)というルートで、江戸城の東海道口となっています。
往時は、櫓門を備えた堅固な造りでしたが、享保16年(1731年)に焼失した後、再建されていません。
虎ノ門にあった江戸城の外濠は、明治時代以降、水質悪化や市街地化で埋められています。
虎ノ門見附の門自体も明治6年に撤去となりました。
明治政府内では皇居(旧江戸城)を軍事施設とするのか、天皇の住居とするのかを検討した結果、軍事色を弱めつつも、軍事的な機能を残すということで、内郭(現在の皇居、皇居東御苑、北の丸公園)と内濠は存続させ、外濠と外郭にあった門は撤去し、市街化するという結論になったのです。
こうして、溜池から虎ノ門、幸橋門にかけての外濠は埋め立てられてしまいました。
虎ノ門見附の外郭門も破却されましたが、平成16年、文部科学省の新庁舎建設工事の際に発掘されて、展示施設として保存された石垣が、江戸城外堀跡(地下展示室)です。
石垣表面には石を割った矢穴や担当した大名家の刻印があり、地下通路に設けられた窓越しに石垣を眺めることができます。
ちなみに、外濠の構造は四谷・喰違間の真田濠を最高水位として、城門土橋に堰を設けて堀の水面を順次低くして造られています。
| 虎ノ門見附・江戸城外堀跡(地下展示室) | |
| 名称 | 虎ノ門見附・江戸城外堀跡(地下展示室)/とらのもんみつけ・えどじょうそとぼりあと(ちかてんじしつ) |
| 所在地 | 東京都千代田区霞が関3-2 |
| 関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
| 電車・バスで | 東京メトロ虎ノ門駅からすぐ |
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