神楽坂・兵庫横丁

兵庫横丁

東京都新宿区神楽坂4丁目にある石畳の路地が、兵庫横丁(ひょうごよこちょう)。神楽坂で絵になる路地の筆頭ともいえる場所で、テレビドラマのロケ地としても有名。神楽坂の善国寺前から北に伸びる路地で、神楽坂の料亭4軒のうち、料亭「八仙」、「幸本」の2軒が通り沿いにあります。

石畳に黒塀、見越しの木々と、神楽坂らしい路地

兵庫横丁

石畳の路地に老舗の料亭ということで、兵庫横丁は新宿区まちなみ景観賞も受賞(途中に階段があり歩行者専用の路地です)。
兵庫とは、文字通り武器庫のことで、戦国時代に牛込城の武器庫があった場所だと伝えられています。
神楽坂の中でもっとも古い道といわれているので、中世に武器庫があったのかもしれません。

牛込城は、天文10年(1541年)に牛込勝行が築いた城(牛込氏の居城)で、現在の光照寺(東京都新宿区袋町15)一帯。
徳川家康が幕府を開くと、旗本として仕えています。
牛込城のあった場所は、善國寺の南西で、少し離れすぎている感じもあります。

神楽坂を整備したのは、若狭小浜藩主で大老・酒井忠勝が江戸下屋敷(現・矢来町)を拝領した際。
3代将軍・徳川家光が100回以上通い詰めたという下屋敷で、その武器庫だった可能性もありますが、こちらも遠く離れています。
可能性としては、本多横丁に名を残す三河西端藩主・本多修理(ほんだしゅり)の屋敷の武器庫。
本多横丁(三年坂)の東側全域が、本多家の屋敷で、「本多修理屋敷脇横町通リ」が名の由来。
本多横丁は、兵庫横丁に並んでいる路地なので、納得がいきます。

兵庫横丁には、和室5室という老舗旅館で、山田洋次監督も愛用した「和可菜」(1954年に女優・木暮実千代の出資で開業)があり、作家が缶詰になる宿「ホン書き旅館」として出版界などでは有名でしたが、2015年に廃業。
隈研吾建築都市設計事務所が建物を後世に伝えるため、手を入れて再生しています(料亭「幸本」向かいの建物)。

ちなみに、神楽坂の料亭で芸者を呼ぶこともできますが、単に会食だけの場合は予算1人2万円〜が相場です。
料亭「幸本」は、食事だけの場合ならオンライン予約も可能。

神楽坂・兵庫横丁
名称 神楽坂・兵庫横丁/かぐらざか・ひょうごよこちょう
所在地 東京都新宿区神楽坂4丁目
電車・バスで JR・東京メトロ飯田橋駅、東京メトロ神楽坂駅、都営地下鉄牛込神楽坂駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
神楽坂

神楽坂

東京都新宿区、飯田橋の外堀通りと早稲田通りが交差する神楽坂下交差点から、坂上の善国寺、大久保通りに向けて上る坂道が、神楽坂(かぐらざか)。坂名は江戸時代からの歴史あるもので、周辺には大正時代に隆盛を誇った花街があり、「千月」、「幸本」(ゆき

神楽坂・芸者小道(熱海湯階段)

神楽坂・芸者小道(熱海湯階段)

東京都新宿区神楽坂3丁目にある路地裏の小道が、芸者小道。銭湯「熱海湯」横の階段のため熱海湯階段とも呼ばれています。芸者小道の名があるのは、階段を上りきった見番横丁に、神楽坂検番(東京神楽坂組合稽古場)があるため。芸者衆が上り下りした小道とい

不二家・飯田橋神楽坂店

不二家・飯田橋神楽坂店

東京都新宿区神楽坂1丁目、神楽坂の牛込橋・飯田橋駅寄り、神楽坂下交差点近くにあるのが、不二家・飯田橋神楽坂店。洋菓子「不二家」の店舗ですが、日本で唯一「ペコちゃん焼」(大判焼きをペコちゃん型にアレンジ)を販売する店として知られ、外国人観光客

善国寺

善国寺

東京都新宿区神楽坂にある日蓮宗の寺、善国寺(善國寺)。戦国時代末の文禄4年(1595年)、池上本門寺第12代貫主・日惺上人が馬喰町に創建(開基は徳川家康)。度重なる江戸の大火により麹町を経て寛政5年(1793年)に現在地に移っています。芝・

兵庫横丁

関連記事

よく読まれている記事