小山白山公園(多摩ニュータウンNo.245遺跡)

小山白山公園(多摩ニュータウンNo.245遺跡)

東京都町田市小山町、京王電鉄相模原線・多摩境駅の西、田端環状積石遺構(ストーンサークル)の北にある公園が、小山白山公園。縄文時代中期中葉〜後期前葉の竪穴住居跡67軒が出土した多摩ニュータウンNo.245遺跡を公園化したもので、公園一帯の地下には縄文時代のムラが眠っています。

公園の下には縄文時代の土器づくりのムラが眠る

町田市内では、丘陵地に縄文時代の住居があったことを初めて示した高ヶ坂石器時代遺跡(国の史跡、縄文時代中期の遺跡で国内最大級の石棒が出土した忠生遺跡A地区(町田市木曽西2丁目)、縄文時代中期の全国に3例しかないクルミ形土器が見つかった木曽中学校遺跡(木曽西2丁目)など、800ヶ所もの縄文遺跡があり、縄文人の豊かな暮らしがあったことが判明しています。

町田周辺の多摩丘陵は、縄文人の生活に欠かせないクルミやドングリ(コナラなどの実)などの木の実も多く、シカやイノシシなどの狩猟にも適したため、縄文時代に多くのムラがつくられたのです。

多摩ニュータウン事業に伴って発掘調査されたのが、多摩ニュータウンNo.245遺跡。
境川に面する段丘の斜面にあり、縄文時代中期〜後期は、隣接する田端東遺跡と一体的な集落だったと推測されています。
田端東遺跡は、都道158号(小山乞田線/多摩ニュータウン通り)の道路建設に伴って発掘調査が行なわれ、縄文時代中期中葉〜後期中葉のムラを発見していますが、現在は道路になっています。

多摩ニュータウンNo.245遺跡で見つかった住居跡からは、かつて粘土採掘場だった多摩ニュータウンNo.248遺跡から搬入された粘土と焼成する前の土器が出土。
No.248遺跡と相似する深鉢形土器(勝坂式)が3号住居跡出土、さらに51号住居跡からは未焼成土器も出土し、No.248遺跡から粘土を採掘してNo.245遺跡へ運び込み、土器を製造していたことが判明したのです。
つまり、小山白山公園の下に眠る縄文のムラは、土器づくりのムラだったということに。
境川に面する段丘の斜面(住むには不向きな急斜面)にムラが築かれていたのには土器工房適地という理由があったのです。

小山白山公園(多摩ニュータウンNo.245遺跡)
名称 小山白山公園(多摩ニュータウンNo.245遺跡)/おやまはくさんこうえん
所在地 東京都町田市小山ヶ丘5丁目
電車・バスで 京王電鉄多摩境駅から徒歩5分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
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