東京都荒川区西日暮里2丁目にある、JR山手線・京浜東北線・常磐線と常磐線快速、京成電鉄京成本線(成田スカイアクセス線)、日暮里・舎人ライナー(東京都交通局)の駅が、日暮里駅(にっぽりえき)。山手線でも御徒町駅に並ぶ難読駅名になっています。
JRは、厳密には東北本線、常磐線の駅
明治38年4月1日、日本鉄道の三河島駅〜日暮里駅間が開通したことで開業した歴史ある駅です。
明治39年11月1日、日本鉄道の国有化に伴い、当駅も鉄道省の駅となっています。
昭和6年12月19日、京成電気軌道(現・京成電鉄)の日暮里駅も開業、その後、平成20年3月30日、日暮里・舎人ライナーの始発駅として日暮里駅が開業し、その後、駅の近代化が進められ、駅ナカ「エキュート日暮里」も営業しています。
JR東日本3面6線、京成電鉄3面2線、日暮里・舎人ライナー1面2線の計7面10線のホームを持つ大きな駅ですが、乗り換えは少し複雑です(JR線から京成への乗り換えができない階段があります)。
京成電鉄はスカイライナーを含む全列車が停車するため、外国人観光客の乗り換えも多い駅。
京浜東北線は日中の快速運転の際には日暮里駅は通過となります(田端駅〜上野駅は快速運転で通過)。
厳密にいえば、山手線は品川〜渋谷〜新宿〜池袋〜田端間、そして京浜東北線の東京駅以北は東北本線の扱いなので、日暮里駅は東北本線が所属線、常磐線(日暮里駅〜岩沼駅)の起点駅ということに。
日暮里は、日暮しの里に由来
駅名は、駅西側、「日暮らしの里」と呼ばれた江戸時代の風光明媚な寺町に由来します。
もともとは新堀(にいほり)でしたが、江戸の郊外行楽地となり、「日暮らしの里」の意で日暮里に。
文化文政年間(1804年〜1829年、化政文化の時代)に編纂された武蔵国(御府内を除く)の地誌『新編武蔵風土記稿』には、北条氏配下の遠山弥九郎(とおやまやくろう)が、屋敷の周囲に土塁と堀を築いたのが新堀の由来と記されていますが、文安5年(1448年)の『熊野神領豊嶋年貢目録』(くまのじんりょうとしまねんぐもくろく)などとに、すでに「につぽり妙円」とあるので、室町時代からの呼び名だとわかります。
現在の西日暮里3丁目界隈が、日暮しの里と呼ばれるようになり、江戸時代中期に、日暮里に転訛したと推測されています。
江戸時代の公文書では新堀を使用し、公式に日暮里になったのは明治10年のことです。
日暮里駅 | |
名称 | 日暮里駅/にっぽりえき |
所在地 | 東京都荒川区西日暮里2丁目 |
関連HP | JR東日本公式ホームページ |
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