東京都北区志茂にある荒川放水路と隅田川(旧河道)とを仕切る水門が、旧岩淵水門。大正5年から8年間の歳月をかけて完成した水門は、経済産業省の近代化産業遺産に認定。昭和30年代の改修工事で赤い色に塗りかえられたことから「赤水門」と呼ばれています。昭和57年に下流側に岩淵水門(青水門)が完成し、お役御免に。
パナマ運河建設に携わった青山士ゆかりの水門
荒川はその名の通り「荒ぶる川」で、流域に洪水をもたらす暴れ川でした。
荒川は、江戸湾(東京湾)に流れていた利根川の支川として、現在の元荒川筋を流れていましたが、江戸の町を水害から守るために、徳川家康は江戸に入府すると、利根川東遷事業と呼ばれる大土木工事に着手。
文禄3年(1594年)から60年の歳月をかけて、利根川の河口を江戸湾(東京湾)から銚子へと付け替えていますが、同時に荒川の瀬替え(付け替え)も行なわれたのです。
寛永6年(1629年)に瀬替えが行なわれ、瀬替え前の荒川であった河川は、現在、元荒川として流れています。
下流部では、荒川の背替え後から昭和初期までは今の隅田川の流路に荒川が流れていたのです。
明治43年の大水害では、東京で被災者150万人を生むなど、荒川流域に大きな浸水被害が発生しました。
この大きな被害を受けて、荒川の大規模な改修計画が策定。
明治44年、岩淵(現・東京都北区)から中川河口(現・江東区、江戸川区)まで、幅500m、全長22kmにもおよぶ荒川放水路を開削する荒川放水路事業が始まったのです。
工事途中には第一次世界大戦後の世界恐慌、そして関東大震災という困難にあいながら、延べ310万人の労働力を投入して、昭和5年、荒川放水路(これが現在の荒川)が完成。
荒川放水路と荒川の旧河道(これが現在の隅田川)との分派点に設けられたのが旧岩淵水門で、隅田川に荒川の洪水の余水が流入するのを制限するための水門です。
荒川放水路の建設工事を指揮したのはパナマ運河建設に携わった青山士(あおやまあきら)で、荒川放水路に先駆け大正13年10月12日に完成(通水式を実施)。
鉄筋コンクリート造りの水門で、9m幅のゲート5門を備えています。
荒川放水路とともに荒川の治水関連遺産として経済産業省の近代化産業遺産)(「国土の安全を高め都市生活や産業発展の礎となった治水・砂防の歩みを物語る近代化産業遺産群」)に認定。
水門上は歩行者自転車専用橋として開放され、川に囲まれた中之島に渡ることができます。
中之島は、荒川赤水門緑地として整備され、荒川上流を眺望。
彫刻家・青野正(あおのただし)のオブジェ『月を射る』が配されるほか、「草刈の碑」が立っています。
昭和13年~昭和19年の間、『全日本草刈選手権』が開催されたことを記念する石碑です。
旧岩淵水門(赤水門) | |
名称 | 旧岩淵水門(赤水門)/きゅういわぶちすいもん(あかすいもん) |
所在地 | 東京都北区志茂5-42-6地先 |
関連HP | 北区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ志茂駅、赤羽岩淵駅から徒歩15分。または、JR赤羽駅から徒歩20分 |
駐車場 | 荒川岩淵関緑地駐車場(38台/有料) |
問い合わせ | 荒川下流河川事務所岩淵出張所 TEL:03-3901-4240 |
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