東京の公園
プレスマンユニオン編集部
越中島公園
東京都江東区越中島1丁目、隅田川の河口、隅田川の派川(はせん)・晴海運河沿いにある公園が、越中島公園。相生橋の下にある中の島公園とととも、美しい水辺の環境を形成し、昼は散策やジョギングに最適で、夜は建ち並ぶ高層タワーマンションを眺める夜景のビュースポットになっています。
越中島公園には、東京水辺ラインの越中島船着場も
越中島公園は、昭和46年4月1日に開園。
上中下3段の段丘上になっていて、上段がメインストリートで、じゃぶじゃぶ池(7月1日~9月第2週の日曜開設)も配されています。
中段はベンチが配され、のんびりできるゾーン。
下段は晴海運河沿いに幅の広い全長500mの散策路があり、さらにその下に水の入った場所があり、淡水(隅田川の水)と海水が入り混じる汽水域ならではの多様な生物を観察できます。
年末年始(12月27日~1月5日)、じゃぶじゃぶ池開設期間を除く期間は、無料レンタサイクルの貸し出しも実施。
月曜(祝日の場合は翌日)休なのでご注意を。
東京水辺ラインの越中島船着場があり、「浅草・お台場クルーズ」(両国リバーセンター〜墨田区役所前〜浅草二天門〜越中島〜聖路加ガーデン前〜ウォーターズ竹芝〜お台場海浜公園)の各駅便が寄港するので、越中島公園と浅草やお台場を結ぶ周遊ルートも可能です(東京水辺ラインは、東京都公園協会が運航する水上バスで、東京都観光汽船の「隅田川ライン」とは異なります)。
屋形船やチャータークルーズの着岸する桟橋もあり、屋形船の姿を見ることも。
幕末には砲台も置かれた越中島の歴史
『深川越中嶌埋立ノ図』
越中島が史書に登場するのは、寛文11年の『新板江戸外絵図』(東京都公文書館所蔵)が初出で、大川(隅田川)の中洲、越中島の部分に「榊原越中」と記され、榊原越中守の拝領地だったことがわかります。
文政4年の『葛西志』には「此地は昔海中の孤島なりしを、榊原越中守某に賜ひし處なり。よりて越中島とは唱へたりし」と記され、さらに『江東区史』には、拝領時期は明暦〜万治(1655年〜1661年)頃と記され、中洲を干拓した土地を榊原越中守が拝領したということがわかります。
榊原越中守は、榊原照久(さかきばらてるひさ=館林藩初代藩主・榊原康政の甥、久能山東照宮の祭主)を祖に、駿府城代支配の久能山守衛総御門番を務めた1800石取りの旗本直臣(はたもとじきしん)・榊原照清(榊原照久の孫)と推測され、神君・家康が眠る久能山東照宮を代々に渡って守備していたことがわかっています。
また江戸市中のゴミを江戸市中に巡らされた運河を使い、隅田川河口の永代島の埋立てなどにも活用し、越中島の造成にも使われています。
ゴミを永代島まで運ばす、榊原越中守屋敷横に捨てられたことから江戸に入る船の支障をきたし、寛文12年(1672年)にはそれを禁じるお触れも出ています。
越中島を拝領した榊原越中守ですが、高波で土地が削られるなどしたため、屋敷地を返上。
元禄年間(1688年〜1704年)、大川(隅田川)の浚渫で生まれた残土を榊原越中守屋敷跡に捨てたことで、島が拡大し、正徳元年(1711年)、御家人(将軍にお目見えできない直臣)43人の拝領地となっています。
幕末には、越中島の住人に立ち退き料を払って江戸湾防備の忍藩(房総半島に築かれた台場、陣屋を守備)の土地(松平下総守の屋敷地)とし、幕末には幕府の調練場に。
近年の研究で、幕末の元治2年(1865年)には幕府調練場内に江戸湾防備の砲台が築かれていたことがわかっています。
遺構は明治30年代に商船大学(現・東京海洋大学)が移転した際に埋立工事が行なわれ、確認することはできません。
遺構にあたると推測される場所から切石などが確認され、「越中島砲台跡」として江東区の史跡にもなっています。
注/江東区の資料、東京都公文書館の資料などをもとに編集
越中島公園 |
名称 |
越中島公園/えっちゅうじまこうえん |
所在地 |
東京都江東区越中島1-3-1 |
関連HP |
江東区公式ホームページ |
|
電車・バスで |
JR越中島駅から徒歩5分。東京メトロ東西線・都営大江戸線門前仲町駅から徒歩10分 |
問い合わせ |
江東区河川公園課 TEL:03-3647-9111 |
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |
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