新宿の繁華街の東の外れにある古社が西向天神社で、かつては東大久保村の鎮守社だった社。以前は大久保天満宮と呼ばれ、祭神は京の北野天満宮から勧請しています。西向天神社という名は、太宰府を向くかたちで、社殿が西を向いているため。東都七天神にも数えられています。境内には江戸時代築造の富士塚「東大久保富士」も。
境内には幕末に築造の富士塚(東大久保富士)も現存!
社伝によれば安貞2年(1228年)、華厳宗中興の祖、栂尾に高山寺を開いた明恵上人(みょうえしょうにん)が、菅原道真自刻の尊像を持って東国に下向し、この地に社を創建。
すぐ北側にある天台宗本山派の寺、梅松山大聖院は、別当寺(神仏習合時代に神社を管理した寺)。
3代将軍・徳川家光が鷹狩りの際に、荒廃していた社を見て、社殿修復のために金の棗(なつめ)の茶入れを下賜したことから棗天神(なつめてんじん)とも呼ばれています。
幕末に編纂の『江戸名所図会』には、大窪天満宮として描かれていますが、「西向」「棗の天神」とも称されているとの補足があります。
境内の富士塚(東大久保富士)は、天保13年(1842年)の築造。
境内には藤圭子のデビュー曲、『新宿の女』の歌碑もあるので、お見逃しなく。
ちなみに東都七天神は、十返舎一九が文政6年(1823年)に刊行した『菅神御一代文章』に記載のある江戸の有力な天神・天満宮7社。
亀戸天神社、湯島天満宮(湯島天神)、平河天満宮(平河天神)、牛天神北野神社、五條天神社、氷川神社(足立区千住仲町)の境内社・関屋天満宮と、西向天神社の7社で、すべて現存しています。
『絵本江戸土産』、『江戸切絵図』に見る西向天神社
嘉永3年(1850年)〜慶応3年(1867年)刊行の『絵本江戸土産』は、第一編から第七編までは歌川広重(初代)、第八編から第十編までは歌川重宣(二代広重)が担当した江戸のビジュアルガイド。
幕末には名所案内の視覚化が始まりましたが、『絵本江戸土産』はその代表作で、『名所江戸百景』に受け継がれています。
西向天神社が描かれるのは第九編なので、二代広重(歌川重宣)の作。
西向天神社 | |
名称 | 西向天神社/にしむきてんじんしゃ |
所在地 | 東京都新宿区新宿6-21-1 |
電車・バスで | 東京メトロ副都心線東新宿駅から徒歩6分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 西向天神社 TEL:03-3351-5875/FAX:03-3351-5857 |
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