江戸城本丸の表御殿大広間から白書院に続いていたのが有名な松之大廊下(松之廊下)。江戸城で2番目に長い廊下で、襖戸に松並木と千鳥が描かれていました。1701(元禄14)年、浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしなか)に対し起こした刃傷(にんじょう)事件の現場として有名です。
『忠臣蔵』で有名な刃傷事件の「事件現場」はここ!
本丸表御殿の大広間から将軍との対面所である白書院に至る西へ19m、北へ31m、幅5m、畳敷きの廊下です。
『忠臣蔵』では、赤穂浪士(あこうろうし)討ち入りの引き金となった事件として描かれ、映画などでは「松之大廊下」がシーン名にもなっています。
松之大廊下の跡地には標石と解説板が設置されています。
また、江戸東京博物館には、松の大廊下の模型が展示されています。
世相を反映する『忠臣蔵』
赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件で一般的にも有名です。
四十七士のことを赤穂義士とも呼びますが、事件としては格式高い吉良家に対しての江戸城内での狼藉。仇討ちというより、復讐劇に近い事件ですが、歌舞伎や時代劇では、吉良=悪役の勧善懲悪が一般的なスタイルとなっています。
赤穂藩主で勅使饗応役であった浅野長矩がこの廊下で高家肝煎の吉良義央に斬りつけた事件で一般的にも有名です。
四十七士のことを赤穂義士とも呼びますが、事件としては格式高い吉良家に対しての江戸城内での狼藉。仇討ちというより、復讐劇に近い事件ですが、歌舞伎や時代劇では、吉良=悪役の勧善懲悪が一般的なスタイルとなっています。
吉良上野介義央も郷土の愛知県西尾市では名君として有名なので、描かれる『忠臣蔵』は物語性が高いと思われます。
とくに明治以降は、日露戦争後、国家主義思潮の高揚にともない忠君愛国的な風潮のもとで、『忠臣蔵』がブームとなっているのです(大正デモクラシーの際には衰退)。米軍の日本占領下では『忠臣蔵』は上映、上演を禁じられていました。
古地図に見る松之大廊下
江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑) | |
名称 | 江戸城本丸 松之大廊下跡(皇居東御苑)/えどじょうほんまる まつのおおろうかあと(こうきょひがしぎょえん) |
所在地 | 東京都千代田区千代田1-1 |
関連HP | 宮内庁公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ東西線・都営三田線大手町駅から徒歩6分。東京メトロ東西線竹橋駅から徒歩10分、JR東京駅丸の内北口から徒歩11分 |
駐車場 | 無/大手センターパーキング(185台/有料)などを周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 宮内庁 TEL:03-3213-1111 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |