牛嶋神社

牛嶋神社

東京都墨田区、言問橋(ことといばし)の東詰、隅田公園に隣接して建つのが、牛嶋神社(うしじまじんじゃ)。貞観2年(860年)、円仁(慈覚大師)が創建したという古社で、明治初年の神仏分離、廃仏毀釈以前は牛御前王子権現杜(うしごぜんおうじごんげんしゃ)で、最勝寺が別当(神社を管理する寺)でした。

慈覚大師創建と伝わる古社で、撫で牛は江戸時代から知られる

牛嶋神社
総檜権現造りの社殿

最勝寺の寺伝によれば、円仁(慈覚大師)は東国巡錫の際、大川(現・隅田川)の畔で釈迦如来像と大日如来像を自刻し、本尊として一宇を草創。
その際、守護神として須佐之男命を勧請して、牛御前王子権現杜を創建(大日如来が本地仏)、元慶元年(877年)に牛宝山最勝寺を開山したと伝えられています。

牛御前と呼ばれるのは、旧社地が牛島の出崎にあったため、それを略して牛の御崎としたものを、後世に牛の御前に転訛したとのこと(『江戸名所図会』)。
王子権現は、清和天皇の皇子・貞辰親王を祀ったことに始まる名前。

治承4年(1180年)、源頼朝が安房国で再起を図り、下総国から武蔵国へと進軍する途中、豪雨による洪水のために大川(隅田川)を渡ることができずに困っていた際、千葉常胤(ちばつねたね)が当社に祈願し、神明の加護によって全軍無事に渡ることができたことから、養和元年(1181年)、源頼朝が社殿を寄進しています。

江戸時代には将軍家が鷹狩の際に立ち寄った場所で、最勝寺は、江戸府内五色不動のひとつ、目黄不動としても有名です。

関東大震災後、長命寺近くから現社地に遷座

明治の神仏分離で牛御前王子権現杜は、牛嶋神社に改称。
もともとは、本所区向島須崎町、現在の長命寺付近にありましたが、牛嶋神社は昭和3年に現社地(水戸藩江戸下屋敷跡)に遷座、かつての別当だった最勝寺は、現在の江戸川区平井へ移転しています。

社宝に、弘化2年(1845年)、葛飾北斎が奉納の大絵馬『須佐之男命厄神退治之図』がありましたが、関東大震災で焼失。
「すみだ北斎美術館」では推定復元の絵馬が展示されています。

牛嶋神社石造神牛(撫で牛)、神牛、石造狛犬、力石群は、墨田区の登録有形民俗文化財に指定。
狛犬ではなく狛牛(神牛)が参拝者を迎えてくれます。

現存する「撫で牛」は、文政8年(1825年)頃の奉納で、それ以前は自然石を用いていました。
身体の悪い部分と同じ部分を撫でると、その場所の病気やケガが治るといわれるありがたい牛で、大正6年3月に牛島小学校(現・小梅小学校)を卒業した作家・堀辰雄は『幼年時代』に「どこかメランコリックな目ざしをした牛が大へん好きだった」と記しています。

社殿前の鳥居は、三ツ鳥居(みつとりい)で、社殿は総檜権現造り。

東京・本所の総鎮守東京スカイツリーの建つ場所も本所なので、東京スカイツリーにちなんだ授与品も用意されています。

牛嶋神社
江戸時代後期の地誌『江戸名所図会』に描かれり牛御前宮と長命寺
牛嶋神社
名称 牛嶋神社/うしじまじんじゃ
所在地 東京都墨田区向島1-4-5
電車・バスで 東武電鉄とうきょうスカイツリー駅から徒歩8分。東武鉄道・東京メトロ・都営地下鉄・つくばエクスプレス浅草駅から徒歩10分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
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言問橋

言問橋

東京都台東区(西岸)と墨田区(東岸)の間を流れる隅田川(旧称・大川)に架る橋が、言問橋(ことといばし)。関東大震災後、帝都復興で内務省復興局(帝都復興院)が担当した6橋(隅田川六大橋)のひとつで、震災以前は「竹屋の渡し」(向島の渡し、待乳の

牛嶋神社

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