東京都目黒区下目黒にある天台宗の古刹が、目黒不動尊。目黒のお不動さんと呼ばれますが正式名は泰叡山瀧泉寺(たいえいざんりゅうせんじ)。江戸時代に創始された浅草寺から始まる江戸三十三観音霊場の三十三番、納めの札所にもなっています。
関東最古の不動霊場で、霊泉・独鈷の滝が落ちる
開山は古く、寺伝によれば大同3年(808年)、円仁(慈覚大師)が本尊・目黒不動明王を自刻して創建とされ、関東最古の不動霊場として栄えてきました。
霊夢により堂宇建立を決意した円仁は、法具の独鈷(とっこ=金剛杵)を投じたところ、そこに泉が湧出、その泉が霊泉・独鈷の滝(とっこのたき)として今も流れ落ちています。
瀧泉寺の名も、この聖なる滝に由来し、江戸時代には滝の水や霊気を浴びることで、病が治るという信仰も生まれています。
寛永7年(1630年)、寛永寺の子院・護国院の末寺となり、以降、3代将軍・徳川家光の庇護を受け、寛永11年(1634年)、53棟におよぶ大伽藍が完成しています。
目黒筋鷹狩場での鷹狩りの際ここに行営を置いたことでさらに有名になり、目黒御殿(めぐろごてん)とも称され、江戸庶民が多く参拝する寺となりました。
有名な落語の『目黒のさんま』は、鷹狩りの帰路に目黒不動参詣し、茶屋に立ち寄るという将軍や大名の行動がモチーフともいわれています(落語に登場の「爺々が茶屋」は歌川広重『名所江戸百選』に描かれています)。
江戸時代後期には「富くじ」も行なわれましたが、「江戸の三富」と呼ばれるように、谷中・感応寺(現・天王寺)、湯島天神と、この瀧泉寺の3ヶ所の境内が公許の地(修復費用調達の方法として、富くじの発売を許可された3社寺)。
天保13年(1842年)、天保の改革によって禁止されるまで、富くじの利益も伽藍の維持に使われたのです。
『江戸名所図会』にも周辺の繁栄ぶりとともに描かれる瀧泉寺で、門前には茶屋、料理屋、「目黒飴」などを売る土産物屋が軒を並べ、江戸郊外の一大行楽地としても賑わったのです。
裏の墓地にはさつまいも栽培で知られる「甘藷先生」の青木昆陽(あおきこんよう)の墓もあり、毎年10月28日は『甘藷まつり』(昆陽遺徳法要)を開催。
命日の10月12日と毎月28日の縁日を合わせ、10月28日に行なわれるものです。
毎月28日は目黒不動尊大縁日で護摩も1日6回焚かれ、境内や参道に露天が並びます。
関東三十六不動尊霊場18番札所。
錦絵、『江戸名所図会』に見る江戸時代の繁栄
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |