地図を見ると常磐線の三河島駅〜日暮里駅(東京都荒川区)の間が、大きくカーブし、西に向かう列車がいつのまにか東に向かう状態になっていることがわかります。常磐線は日本鉄道が敷設したものですが、もともとは東北本線・田端駅起点で、上野駅へはスイッチバックしていたのです。
常磐線の前身、土浦線は田端駅が起点だった!

常磐線は、日本鉄道により明治29年12月25日、田端駅〜土浦駅間(土浦線)、田端駅〜隅田川駅間(隅田川線、隅田川の舟運と連絡する貨物線で、常磐炭鉱の石炭などを輸送)の開通に始まります。
旅客列車は上野駅始発でしたが、上野駅〜田端駅は東北本線を走り、田端駅でスイッチバックするかたちで土浦線(常磐線)に入っていました。
もともと日本鉄道は、川口駅を起点に流山とを結ぶ土浦線(常磐線)を考えていましたが、石炭などの重要な貨物輸送もあって田端ルートに変更されたのです。
川口駅を起点とすれば、日本鉄道品川線(品川駅〜赤羽駅間)もあり、が明治18年3月1日に開業していたので、横浜港への物資輸送にも役立つという考えもあったのかもしれません。
その後、旅客需要の増大で、田端駅でのスイッチバックが大いに不便ということで、明治38年4月1日、三河島駅〜日暮里駅間が開通し、現在の常磐線ルートとなったのです。
そのために生まれたのが常磐線の大カーブということに。
旧来の田端駅に至る常磐線も地図を見ると残されていることがわかりますが、これは常磐線貨物支線(隅田川貨物線)です。
今に至っても貨物輸送があるわけで、当初は旅客よりも貨物に重点を置いていたので、田端駅を目指したということがよくわかります。
【地図を旅する】 常磐線三河島駅〜日暮里駅の大カーブ、なぜ生まれた!? | |
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