東京都台東区元浅草4丁目、かっぱ橋道具街の南西にある浄土宗、誓教寺(せいきょうじ)。葛飾北斎の墓(東京都指定旧跡)があることで知られ、葛飾北斎の偉業を称えた胸像があります。葛飾北斎は、江戸・本所で生まれ、生涯に93回の引越しを重ね、画号も30を超えるほど変遷しています。
墓には「画狂老人卍墓」と刻まれる

宝暦10年(1760年)、本所割下水(ほんじょわりげすい=現・墨田区亀沢1丁目〜4丁目)で生まれた葛飾北斎ですが、実は、葛飾北斎と名乗ったのは文化2年(1805年)〜文化6年(1809年)にかけての数年間。
本所割下水が当時、下総国葛飾領だったことから葛飾北斎と名のりました。彼の画業の集大成ともいうべき『北斎漫画』、続いての『富嶽三十六景』などの名作を世に出しています。
北斎は戴斗、為一、春朗、宗理、可候、画狂人、卍翁など30以上もの様々な画号を名乗り、引っ越し魔であるとともに、画号も落ち着くことがありませんでした。
嘉永2年(1849年)、浅草・聖天町にある浅草寺の支院・遍照院(へんじょういん)境内西側の「狸長屋」(現・台東区浅草6丁目)で没しています。
残念ながら遍照院境内には長屋の位置を示す看板も、北斎にまつわる記念碑などもありません。
北斎の墓所のある誓教寺ですが、墓には「画狂老人卍墓」(「卍」は北斎の雅号の一つ)と刻まれ、辞世の句が刻まれています。
「画狂老人卍」は、天保5年(1834年)、75歳となった北斎が描いた『富嶽百景』初編で用いた画号で、これが北斎最後の画号で、80歳から亡くなる90歳までは、肉筆画が作画活動の中心となっています。
北斎の墓を参詣する人も多く、毎年命日の4月18日には『北斎忌』が営まれています。

誓教寺・葛飾北斎の墓 | |
名称 | 誓教寺・葛飾北斎の墓/せいきょうじ・かつしかほくさいのはか |
所在地 | 東京都台東区元浅草4-6-9 |
関連HP | 台東区公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ稲荷町駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
問い合わせ | 誓教寺 TEL:03-3841-5631 |
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