タモリ倶楽部『首都圏ハミ電大賞』にノミネート! 浅草駅のドアカットとは!?

浅草駅・ドアカット

ドアカットとは、何らかの理由でホームに停車中に一部の車両だけドアが開かないことです。東武伊勢崎線(東武スカイツリーライン)の始発駅、浅草駅でも1・2番線でドアカットが行なわれています。平日朝のラッシュ時の「区間急行」は8両編成で運転されていますが2両はドアが開きません。

帝都復興で誕生した浅草駅、その立地で急カーブも誕生

浅草駅・ドアカット
ドアカットしないと、こんなに隙間が空いてしまいます(現在はドアカットされ立入禁止に)

東京23区内では東急大井町線の九品仏駅(くほんぶつえき)が4両分のホーム長しかないため、5両編成の1両がドアカットされています。
同様に、東武伊勢崎線の浅草駅の1・2番ホーム(快速急行、快速準急、普通列車が発着)でもドアカットが行なわれています。

浅草駅でのドアカットはホーム長が足らないわけではなく、ホームの末端が大きくカーブをしているため、ドアとホームとの間に隙間が生まれ、ドアを開くと条約が隙間に挟まれる恐れがあるためです。
R100という急カーブですが、始発駅(ターミナル駅)の浅草駅で、どうしてこんな急カーブが生まれたのでしょう。
実は、東武鉄道は、上野駅への乗り入れを願望していました。
関東大震災の復興計画で、念願の上野駅乗り入れは却下されたため(後に京成が筑波高速度電気鉄道の計画線を買い取って上野乗り入れを実現)、やむを得ず、浅草を始発駅に。
浅草も繁華街として東京屈指の繁栄を誇っていましたが、省鉄線(現・山手線)への接続は東武鉄道の悲願だったのです。

上野の代わりに、浅草に鉄道用地を取得した東武でしたが、その土地も隅田川沿いのわずかな敷地。
隅田川を川に対して直角に渡河した後に、R100の急カーブで、浅草駅のホームに侵入するという構造になったのです。
しかも当時の東京市と国は、帝都復興を掲げていたので浅草の玄関にふさわしい駅舎をという条件もあり、立派な駅舎と急カーブのホームという組み合わせで、昭和6年5月25日に開業(開業当時は浅草雷門駅という駅名でした)。

関東で初めてとなった百貨店(松屋浅草支店)併設のターミナルビルは、当時、隅田川に浮かぶ航空母艦と形容されたほど、周囲からは抜きんでた建物でした。

タモリ倶楽部『首都圏ハミ電大賞』にノミネート! 浅草駅のドアカットとは!?
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九品仏

東京23区内、一部の車両でドアが開かない「ドアカット」の駅が東急大井町線に!

「ドアカット」とは、都市生活者には聞き慣れない言葉かもしれませんが、列車がホームからはみ出し、一部の車両のドアがその駅では開かないことをいいます。東京23区内で、日常的にドアカットされているのが東京大井町線の九品仏駅(くほんぶつえき/東京都

浅草駅・ドアカット

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