阿茶局の墓(雲光院)
東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2代将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼね)が開創した寺で、境内には大坂の陣では使者として和睦に尽力したた阿茶局(法名が…
東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2代将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼね)が開創した寺で、境内には大坂の陣では使者として和睦に尽力したた阿茶局(法名が…
東京都江東区三好2丁目、清澄庭園の東に位置する浄土宗の寺が、雲光院。徳川家康の側室で、2大将軍となった徳川秀忠を養育した阿茶局(あちゃのつぼねの法名が雲光院。秀忠没後の寛永14年1月22日(1637年2月16日)に死去し…
東京都江東区深川1丁目、清澄庭園の南を流れる仙台堀川沿い、海辺橋の南詰にあるのが、採荼庵跡(さいとあんあと)。松尾芭蕉の門人の杉山杉風(すぎやまさんぷう)の庵の跡で、元禄2年(1689年)、芭蕉はここから『奥…
東京都江東区を東西に横断する運河が、仙台堀川。旧中川と隅田川を結ぶ運河のひとつで、暗渠化、公園化などにより、現在の明確な流路は東側が大横川、西が隅田川(清澄排水機場)です。大横川の東側は、海水面より水位が低くなっていて、…
東京都江東区にある総面積は24.2haという広大な都立公園が、木場公園。江戸時代から昭和に至るまで、江戸・東京へ材木を供給し「材木のまち」となった木場ですが、木材関連業者が新木場へと移転したため、跡地を防災拠点、そして水…
東京都江東区三好4丁目、広大な木場公園の一角(北端)にあり、敷地面積2万3780平方メートルにも及ぶ美術館が、東京都現代美術館。大正15年5月1日に上野恩賜公園に開館した東京府美術館が前身で、収集された3000点に及ぶ美…
東京都江東区越中島2丁目1-6、東京海洋大学越中島キャンパスで保存公開されるのが、国の重要文化財に指定される機帆船、明治丸。明治8年2月20日、横浜港で就航した灯台巡視船。明治時代に築かれた洋式灯台の測量などに活躍した新…
東京都江東区青海2丁目、テレコムセンタービル東棟21階にあるのが、テレコムセンター展望室ラウンジ ViewTokyo(有料施設)。お台場のなかで意外に穴場的存在の展望台がここ。ホテルのラウンジのような雰囲気になった豪華な…
東京都江東区常盤1丁目、松尾芭蕉の江戸生活の拠点・深川芭蕉庵跡の北に建つのが、江東区芭蕉記念館。芭蕉が蕉風俳諧を確立した句として有名な「古池や蛙飛びこむ水の音」も深川芭蕉庵での句会で詠まれたもので、『野ざらし紀行』、『奥…
東京都江東区常盤1丁目、隅田川と小名木川の合流地点近くに建つのが、芭蕉稲荷神社。芭蕉稲荷神社が鎮座する地は、松尾芭蕉が江戸深川に居を構えた深川芭蕉庵跡で、隅田川の畔には芭蕉庵史跡展望庭園、少し北には江東区芭蕉記念館があり…
東京都江東区常盤1丁目、隅田川と小名木川の合流地点、萬年橋に近い隅田川テラス沿いにあるのが、芭蕉庵史跡展望庭園。背後に深川芭蕉庵跡の芭蕉稲荷神社が鎮座し、北には江東区芭蕉記念館があるなど、一帯は江戸で芭蕉が暮らし、『奥の…
東京都江東区清澄1丁目に立つのが、セメント工業発祥の地碑。仙台藩蔵屋敷跡を利用し、明治5年、大蔵省土木寮の摂綿篤(セメント)製造所を東京府下清住町に建設、明治7年に工部省の深川製作寮出張所に改められ、明治8年5月19日、…