東京都千代田区、皇居(江戸城)の西端、半蔵濠に面した門が半蔵門。東京メトロ半蔵門線の半蔵門駅の駅名由来になった門ですが、どこに門があるのかを知らない人が大半。それもそのはずで、皇居の一部で皇宮警察が守備し、一般には半蔵濠の外側から橋越しに眺めるしかできません。
江戸城の搦手門で、その名は服部半蔵に由来するとも

かつての甲州街道(現・国道20号、新宿通り)に面した門で、江戸城の正門とは正反対の位置にある搦手(からめて)の門。
江戸城三十六見附(えどじょうさんじゅうろくみつけ)のひとつ、さらには江戸城内郭門(えどじょうないかくもん)のひとつで、麹町御門ともいわれ、四谷門とともに甲州街道の起点となっていました。
江戸時代初期、慶長13年(1608年)の『慶長江戸図』には、すでに半蔵門口と記され、それ以前の絵図にも門が描かれているので、家康入封の際からあった門だということがわかります。
元和6年(1620年)、伊達政宗など東北の諸大名が江戸城の天下普請(てんかぶしん)で、強固な枡形門を構築していますが、明治4年に渡櫓門が破却され、残念ながら高麗門も東京大空襲で焼失。
現在は和田倉門から移築された高麗門のみになっています。
江戸時代には、門内には吹上御庭があり、将軍の隠居所となっていました。
現在は皇居の中枢となる天皇・皇后の御所、吹上大宮御所などがある吹上御苑があるため、警備も厳重です。
天皇や秋篠宮家などの皇族は、この半蔵門からの出入りが一般的です。
そのために、一般の通行は禁じられています。
半蔵門という名は、三河以来の旗本で、将軍の警護などを担った服部正成・正就(服部半蔵)親子に由来するというのが定説で、配下となった伊賀同心が新大久保駅のある百人町で鉄砲の訓練などを行ない、旗本屋敷を新宿通り沿いに構えたことでその名が生まれたのだと推測されています。
半蔵門の城門警備を担っていたのかもしれません。

半蔵門 | |
名称 | 半蔵門/はんぞうもん |
所在地 | 東京都千代田区千代田1 |
関連HP | 千代田区観光協会公式ホームページ |
電車・バスで | 東京メトロ半蔵門駅から徒歩5分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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