東京都世田谷区玉川1丁目、多摩川の河畔、二子玉川公園の日本庭園「帰真園」(きしんえん)に移築保存されているのが、旧清水邸書院。庭園中央部の多摩川に見立てた池の畔に建ち、風雅な雰囲気を醸し出しています。世田谷区の登録有形文化財で、内部は日曜、祝日、第2月曜に限定的に公開されています。
清水組副社長・清水揚之助邸の離れがルーツの書院
明治43年頃、「清水組」(現・清水建設)副社長・清水揚之助邸の離れとして中根岸(現・台東区根岸3丁目)に建てられたもので、大正8年、瀬田の清水家屋敷に移築。
昭和27年に清水邸の敷地は売却され、跡地は日産厚生会玉川病院となりました、離れだけは残されていましたが、昭和54年に解体されることになったため、世田谷区に解体部材が寄贈され、世田谷区では復元する場所を検討していました。
平成25年、二子玉川東地区市街地再開発事業における帰真園の開園に伴い、清水建設の協力で(清水建設が復元工事費用を負担)、園内に保存されたもの。
富士山や多摩川の眺めがいい国分寺崖線の崖上(岡本・瀬田・野毛一帯)には、明治時代後期〜昭和初期に、政治家や実業家が別荘や邸宅が数多く建てられました(瀬田四丁目旧小坂緑地に「旧小坂家住宅」が現存)。
岡本2丁目の岡本静嘉堂緑地は、かつて岩崎家(三菱財閥創業者)が所有する庭園だった地(三菱2代社長・岩崎彌之助の三回忌に、4代社長・小彌太が岩崎家霊廟を建設するために購入)で、清水揚之助邸はその東側に建っていました。
建物は11畳の書院の間に5畳の次の間が付き、鉤の手に縁が配される小規模なもので、木造1階建て、延床面積は83.8平米。
復元にあたって清水建設は、保存部材の状態を1本1本確認し、寸法や仕口(接合部分)の位置などを調査して復元図面を作成、残存率が6割ほどだった化粧材については新材を選定し、さらに旧材のように見せる古色付け(こしょくづけ)を丹念に行なって往時のままに復元しています(匠の技が活かされています)。
ちなみに、清水揚之助は、4代・清水満之助(清水喜三郎)の妹トクと結婚、菊池揚之助(千葉、菊池兵三郎の長男)から清水揚之助と改姓し、大正2年4月、番町清水家を創設。
昭和12年、代表取締役副社長に就任しています。
旧清水邸書院 | |
名称 | 旧清水邸書院/きゅうしみずていしょいん |
所在地 | 東京都世田谷区玉川1-16-1 |
関連HP | 二子玉川公園ビジターセンター公式ホームページ |
電車・バスで | 東急二子玉川駅、上野毛駅から徒歩10分 |
ドライブで | 第三京浜道路玉川ICから約1km、首都高速用賀ICから約3km |
駐車場 | 23台/有料 |
問い合わせ | 二子玉川公園ビジターセンター TEL:03-3700-2735 FAX:03-6805-7591 |
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