善光寺(東京)

善光寺(東京)

東京都港区北青山3丁目、表参道交差点近くにある浄土宗の寺が、善光寺(ぜんこうじ)。慶長6年(1601年)、谷中(現・台東区谷中1丁目)に創建、元禄の大火後の宝永2年(1705年)、現寺地に移っています。本堂下には信州・善光寺と同様に暗闇をめぐる「お戒壇めぐり」(おかいだんめぐり)があります。

江戸における善光寺大本願の拠点が、表参道に

善光寺(東京)

善光寺には、代々皇族の尼僧が法灯を継ぐ善光寺大本願と僧寺の大勧進があり、2つの寺で、法灯を守ってきました。
江戸時代に、江戸(谷中に創建した善光寺)と大坂(あみだ池和光寺/現・大阪市西区北堀江3丁目)に善光寺大本願の出張所的な機能を有した善光寺(尼寺)が建立されていますが、それが現在、表参道にある善光寺の前身です(明治9年、大本願を浄土宗、大勧進を天台宗とする寺務分掌が行なわれ、昭和29年から、善光寺大本願は浄土宗の大本山になっています)。

豊島郡谷中村の善光寺は、徳川幕府や諸大名、上野・東叡山寛永寺などとの交渉にあたる役割を負って、江戸に幕府が開かれて間もない慶長6年(1601年)、大本願109世・智慶上人が創建。
元禄16年11月29日(1703年12月25日)、小石川水戸藩上屋敷を火元とする元禄の大火で全焼、宝永2年(1705年)、豊島郡上渋谷村青山百人町に替え地を頂戴して寺を大山街道沿いに移しています。

元禄14年には信州善光寺如来の江戸出開帳(えどでがいちょう)も行なわれ、江戸における善光寺信仰の拠点としての地位を確固たるものにしています。
尼寺であったため徳川綱吉の生母・桂昌院など、大奥とも密接な関係を有していました(善光寺大本願には『大奥御用日記』が現存)。

往時の本堂は、幕末の文久2年(1862年)に焼失、ようやく大正9年5月に再建されますが、空襲で堂宇を焼失。
現存する本堂、庫裏(くり)、書院は、昭和49年の再建です。
江戸時代には墓地は有していませんでしたが、明治以降は檀家、墓地も保有しています。
境内には明治3年に人力車を製造した和泉要助、鈴木徳次郎、高山幸助を顕彰する「人力車発明記念碑」(明治6年建立)、青山百人町の隠れ家で自害した高野長英記念碑などがあります。

ちなみに谷中の旧寺地は、現在の玉林寺あたりで、善光寺坂という坂の名が残されています。

善光寺(東京)
『江戸切絵図』 青山渋谷絵図に見る善光寺
善光寺(東京)
名称 善光寺(東京)/ぜんこうじ(とうきょう)
所在地 東京都港区北青山3−5−17
関連HP 港区観光協会公式ホームページ
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