樋口一葉菊坂旧居跡(一葉の井戸)

樋口一葉菊坂旧居跡(一葉の井戸)

東京都文京区本郷4丁目、レトロな家並みの残る路地の一画にあるのが、樋口一葉菊坂旧居跡(ひぐちいちようきくざかきゅうきょあと)。建物は現存していませんが、樋口一葉(本名・樋口奈津)も使ったとされる井戸が、一葉の井戸(通称)として現存。近隣は住宅地のため、マナーを守って見学を。

3年ほど暮らし、作家デビューを果たしたのが本郷菊坂の借家

負債を残した父の死(明治22年7月)で、一葉(17歳)は、樋口家を背負うことになり、明治23年9月に本郷菊坂へ引っ越し。
母と妹と3人での針仕事や下駄の蝉表(せみおもて)作りなどの内職で家計を支え、本郷菊坂の貸家で小説家として生きていくという決意をします。
その背景には、中島歌子が主宰する「萩の舎」(はぎのや/現・文京区の安藤坂にあった和歌と書を教える私塾)先輩の三宅花圃(みやけかほ)が明治21年6月、『藪の鶯』を出版し(女性による初の近代小説)、翌年には再版されたことで33円20銭を手にすることができたという、女流作家の成功例があります。

借金を繰り返す苦しい生活で、伊勢屋質店(旧伊勢屋質店として建物が現存)に質入れしたりして凌いでいました。
明治24年4月、生活苦の傍ら、野々宮菊子の紹介で『東京朝日新聞』専属作家・半井桃水(なからいとうすい)に師事し、半井桃水が創刊した同人誌『武蔵野』に『闇桜』を「一葉」の筆名で発表。
半井桃水との恋愛関係という噂が流れたため翌年、一葉は門下を離れ、『うもれ木』を雑誌『都之花』に発表、初めて原稿料11円50銭を受け取っています。

三宅花圃の紹介で、『文学界』創刊号に『雪の日』を発表しながら、生活苦から逃れるため、明治26年、下谷龍泉寺町(現在の台東区竜泉一丁目)で荒物と駄菓子を売る雑貨店を開店し、一家で移転(この経験が小説『たけくらべ』の題材に)。
明治27年5月に店を閉めて本郷区丸山福山町(現在の文京区西片1丁目)に転居、その後、『たけくらべ』などの作品を世に出していますが、明治29年11月25日、肺結核により24歳6ヶ月という若さで夭逝。
作家生活はわずかに14ヶ月余りで、一葉研究家の和田芳恵は「奇跡の14ヶ月」と呼んでいます。

文京区本郷4丁目には、宮沢賢治下宿跡、坪内逍遥旧居・常盤会跡、金田一京助・春彦旧居跡、本郷5丁目に石川啄木、金田一京介旧居・赤心館跡、本郷6丁目に旧太栄館(石川啄木旧宅・蓋平館別荘跡)があり(いずれも表示があるのみです)、文人が一帯に暮らした町だったことがわかります。
両側から壁が迫り、切り通し状の鐙坂(あぶみざか)も本郷らしい坂道なので、ぜひ寄り道を。
樋口一葉終焉の地(文京区西片1丁目)へも樋口一葉旧居跡(一葉の井戸)からなら徒歩10分。

樋口一葉菊坂旧居跡(一葉の井戸)
名称 樋口一葉菊坂旧居跡(一葉の井戸)/ひぐちいちようきくざかきゅうきょあと(いちようのいど)
所在地 東京都文京区本郷4−32
関連HP 文京区公式ホームページ
電車・バスで 都営地下鉄春日駅から徒歩5分。東京メトロ後楽園駅、本郷3丁目駅から徒歩7分
駐車場 周辺の有料駐車場を利用
問い合わせ 文京区アカデミー推進課観光担当 TEL:03-5803-1174/FAX:03-5803-1369
掲載の内容は取材時のものです。最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。
炭団坂

炭団坂

東京都文京区本郷4丁目、樋口一葉菊坂旧居跡のある菊坂から坪内逍遥旧居・常盤会跡へと上る石段の坂が、炭団坂(たどんざか)。本郷台地の高台へと上る坂で、全長は35mほどですが急な石段が続き、途中には3ヶ所の平坦なテラスが設けられています。司馬遼

樋口一葉菊坂旧居跡(一葉の井戸)

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