街路樹の歴史は遠く奈良時代まで遡ります。759(天平宝字3)年、太政官符が発せられ、畿道七道に果樹並木が植栽されました。東京で最初の並木は、明治7年、近代的街路樹として銀座通りにクロマツ、桜が、そして内堀通りにニセアカシアが植栽されました。とくに外来種が植えられた内堀通りは「市内最初の並木」として石碑も残されています。
日本最初の街路樹に植えられた外来種はニセアカシア
内堀通りの現在の街路樹はエンジュ(槐)ですが、最初に植えられたのはニセアカシア。
明治6年、佐倉藩出身の蘭学者・津田仙(つだせん)がウィーンで開かれた万国博覧会の際に、オランダ人農学者のダニエル・ホイブレイクの指導を受け、当時ヨーロッパで最新の並木用樹種といわれていたシンジュとニセアカシア種子を持ち帰えり、育成したもの。
これを八重洲河岸の濠端(現在の内堀通り)と小石川の江戸川端などに植えました。
このことで、現在の大手町1丁目を通る内堀通りが「東京府で最初の街路樹」となりました。
内堀通りには「市内最初ノ並木」と刻まれた石碑と、「市内最初の並木」の案内板が設置されています。
実は東京市が誕生するのは明治22年5月1日。ということは府内最初の並木が正しいような気がします。
『アカシアの雨がやむとき』とニセアカシアの関係は!?
昭和35年の西田佐知子のヒット曲『アカシアの雨がやむとき』は、当時のプロデューサー・五十嵐泰弘が名古屋出張の際に、テレビ塔下の久屋大通をイメージしたのだと伝えられています。
B面は原田信夫が歌う『夜霧のテレビ塔』とくれば、名古屋か札幌しかありません。
日本国内でアカシアは自生しないので、歌の歌詞になっているアカシアは、基本的にすべて、この「市内最初の並木」の際に移入が始まったニセアカシアなのです。
昭和35年の西田佐知子のヒット曲『アカシアの雨がやむとき』は、当時のプロデューサー・五十嵐泰弘が名古屋出張の際に、テレビ塔下の久屋大通をイメージしたのだと伝えられています。
B面は原田信夫が歌う『夜霧のテレビ塔』とくれば、名古屋か札幌しかありません。
日本国内でアカシアは自生しないので、歌の歌詞になっているアカシアは、基本的にすべて、この「市内最初の並木」の際に移入が始まったニセアカシアなのです。
東京最初の街路樹 | |
名称 | 東京最初の街路樹/とうきょうさいしょのがいろじゅ |
所在地 | 東京都千代田区大手町1−1地先 |
電車・バスで | 東京メトロ東西線・都営三田線大手町駅から徒歩5分。東京メトロ東西線竹橋駅から徒歩8分、JR東京駅丸の内北口から徒歩10分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
掲載の内容は取材時のものです、最新の情報をご確認の上、おでかけ下さい。 |