大横川に架かる人道橋。洲崎神社への参道的な役割も果たしています。現在の橋は平成15年に架け替えられたもの。橋長15.06m、幅員3.4mの鋼製ガーター橋です。
初代の橋は「木場の赤ひげ先生」と慕われた新田医師が架橋
新田橋という橋の名は、大正時代に岐阜県から上京し、木場5丁目で医院を開いていた新田清三郎氏が、不慮の事故で亡くなった夫人の供養で、多くの人の協力で架けられたため。
当初は「新船橋」と呼ばれていましたが、人望のあった新田医師への情からいつのまにか新田橋と呼ばれるようになりました。
新田医師は、8人家族という大家族でありながら、同郷の人や、失業している人など困窮した人々を自宅に居候させるなど、まさに「木場の赤ひげ先生」と慕われていました。
昭和20年3月10日の東京大空襲で、一帯は焼け野原となり、新田医師も命を落としています。
平成12年に行なわれた護岸整備により、往時の新田橋は八幡堀遊歩道の、重要文化財八幡橋に近くで余生を送っています。
2代目となる現在の橋とその界隈も、平成2年に横十間川親水公園、深川江戸資料館通り界隅などとともに第1回「江東区まちなみ景観賞」を受賞しています。
橋の南詰には木場で唯一となってしまった屋形船や釣り船を運航する船宿「深川吉野屋」があり、かつては深川界隈に20軒を数えた船宿の歴史を今に伝えています。
江戸切絵図に見る洲崎神社・新田橋周辺
江戸切絵図を見ると、現在の新田橋の位置にすでに洲崎、洲崎神社への参道となる橋が架かっていたことがわかります。洲崎弁天へと向かう人がここに架かる橋を渡ったのでしょう。初日の出を描いた広重も渡ったのかもしれません。
新田橋 | |
名称 | 新田橋/にったばし |
所在地 | 東京都江東区木場5丁目・木場6丁目 |
電車・バスで | 東京メトロ東西線木場駅から徒歩1分 |
駐車場 | 周辺の有料駐車場を利用 |
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