「恐れ入谷(いりや)の鬼子母神(きしもじん)。びっくり下谷の広徳寺。そうで有馬の水天宮」というのは江戸っ子の洒落。入谷は山手線鶯谷界隈の地名。恐れ入るということを洒落て、入谷の真源寺に祀られる鬼子母神を掛けたものです。境内と門前で7月に開かれる『朝顔市』は、東京の夏の風物詩。「下谷七福神」の福禄寿を祀っています。
「恐れ入谷の鬼子母神」で有名
1659(万治2)年、駿河国沼津(現・静岡県沼津市)の光長寺20世・日融が開いた法華宗の寺で、1828(文政11)年に編纂された『新編武蔵風土記稿』には、「鬼子母神堂。中老日法の作。日蓮開眼の像也。本寺より伝来と云。世に入谷鬼子母神と称す」と記されています。
現在、鶯谷駅前一帯は入谷と通称されていますが、江戸時代の行政は坂本村。
坂本の由来は、上野の寛永寺(東叡山寛永寺)を天海僧正が創建したとき、西の比叡山に対し、天台宗の東の拠点として、東叡山としました。
つまり、比叡山山麓の坂本(現・大津市坂本)に対して、東叡山の坂本というわけなのです。
真源寺の寺伝によれば、とある大名の奥女中の腫れ物(おでき)が真源寺の願掛けで完治したことから、江戸でご利益が話題となり、「おそれ入谷の鬼子母神」となったとのこと。
雑司ケ谷の鬼子母神、千葉・下総中山の鬼子母神(法華経寺)と並び「江戸三大鬼子母神」に数えられています。
下谷七福神の福禄寿を祀っています。
入谷鬼子母神は朝顔市でも有名
江戸時代後期から真源寺境内で、朝顔栽培農家が自慢の品を披露したことが始まり。
入谷が上野山の麓で、落ち葉などが堆積して肥えた土が朝顔の栽培に適していたこと、さらには江戸の近郊に位置していて、朝顔を買いに来ることが当時(江戸時代末期)のレジャーだったというわけなのです。
有名になったのは、明治時代。
往時には十数軒あったという朝顔農家は、都市化の波で大正2年にすべてが廃業しています。
朝顔市は昭和23年に復活。
七夕の前後3日間(7月6日〜8日)に『入谷朝顔まつり』が行なわれています。
ちなみに、販売される12万鉢の朝顔の約7割は江戸川区産なんだとか。
浮世絵に見る 入谷鬼子母神と朝顔市
歌川広重(2代)、歌川豊国(3代)らが描いた『江戸の花名勝会』(えどのはなめいしょうえ)シリーズ。
1866(慶応2)年刊行の『三十六花撰』。「立祥」は2代歌川広重が慶応元年に改名した名前です。
『東京自慢十二ヶ月』は明治13年の刊行。12ヶ月の花が描かれていますが、6月は入谷の朝顔です。
乗蓮寺(東京大仏) | |
名称 | 入谷鬼子母神(真源寺)/いりやきしもじん(しんげんじ) Iriya Kishimojin(Shingen-ji Temple) |
所在地 | 東京都台東区下谷1-12-16 |
電車・バスで | 東京メトロ日比谷線入谷駅から徒歩3分。または、JR鶯谷駅から徒歩7分 |
ドライブで | 首都高速入谷ランプから約200m |
駐車場 | なし |
問い合わせ | 真源寺 TEL:03-3841-1800 |
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