東芝といえば、もともとは東京芝浦電気、さらにそのルーツのひとつは明治15年、東京・芝浦に田中製造所を開いたのが始まり。つまり、東京・芝浦、つまりは現在の港区芝浦は、東芝にとっては、まさにゆかりの地です。2025年8月1日(金)、東芝はその地を捨て、本社を川崎市幸区のラゾーナ川崎東芝ビルに移しています。

東京芝浦電気ゆかりの地から本社が消える

東芝という会社名は、昭和14年に重電メーカー・芝浦製作所と、軽電メーカー・東京電気が合併して東京芝浦電気として誕生したのが始まり。
のちに東芝となり、経団連会長を務めた土光敏夫が建てたのが、港区芝浦の浜松町ビルディング(旧東芝ビルディング)です。

冷蔵庫、洗濯機、掃除機から電子レンジ、炊飯器に至るまで、白物家電の国産化第1号は、東芝というものが多く、白物家電の日本におけるパイオニア的存在です。

主力事業としていたBtoC事業の白物家電事業などは中国系企業に売却、現在ではBtoB事業を中心としたメーカーに転換していますが、ゆかりの地を捨て、新たなステージへと進んでいます。
石坂泰三(第4代社長)と土光敏夫(第6代社長)が経済団体連合会会長を務め、日本経済を牽引した時代もあり、浜松町の東芝ビルディングは東芝のシンボルとしても輝いていました。

東芝は、「コーポレートスタッフ部門と事業部との連携強化に向け、本社機能を移転」と説明しています。
本社を集約する川崎市は東芝のもうひとつのルーツである白熱舎、後の東京電気ゆかりの土地。
本店所在地を芝浦の東芝ビルディングに置いたのは平成13年で(川崎市堀川町の工場閉鎖をきっかけに登記上の本店を川崎市から芝浦へ移転)、東芝にしてみれば元の川崎市に戻っただけということなのかもしれません。

浜松町の浜松町ビルディング(旧東芝ビルディング)が完成したのが昭和59年。
社名を「東京芝浦電気」から東芝に変更、この時が東芝の全盛期でした。

東芝の本社が、東京・芝浦から川崎市へ移転!
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